浅野和三郎(1874-1937)は、英文学者として、アーヴィングの『スケッチブック』、ディケンズの『クリスマスカロル』等の翻訳をはじめ、多くの著作を残されて著名ですが、それだけではなく、それ以上に、大正から昭和の初期にかけて、日本の心霊研究の草分け的存在として、大きな足跡を残されました。

 東京帝国大学英文学科を卒業後、海軍機関学校の英語教授をしていましたが、三男三郎氏の原因不明の熱病を契機にして心霊研究に傾倒するようになりました。その後、海軍機関学校を辞職して「心霊科学研究会」を創設し、1928年には、ロンドンで開かれた第三回国際スピリチュアリスト会議にに出席して、「近代日本における神霊主義」の演題で英語で講演したりしています。

『新樹の通信』は、若くして急逝した次男・新樹氏から父へ、霊能者の母・多慶子女史により伝えられた霊界通信です。

 

浅野和三郎の逸話 | ふしぎなはなし (ameblo.jp)