日本の短弓 | KenさんのBLOGS

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絵は 歌川国芳の「誠忠義士傳・四十四 間瀬宙太夫正明」です。
Wikipediaによると赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした時,表門には大石良雄(槍)、原元辰(槍)、間瀬正明(半弓)という参謀格が陣取り、庭見張りの6士の中に早水満堯(弓)、神崎則休(弓)を配置。裏門隊 庭内の見張り11士の中には千馬光忠(半弓)、茅野常成(弓)、間光風(弓)が書かれています。
弓と半弓は、分けて記録されているのですね。
下の絵によると,短弓を使って矢を筈の方より見通して片目でねらっています。矢筋狙いです。鉄砲と同じですね。
日本の短弓の文化も調べると面白いかもしれません。

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日本の短弓としては
●護身弓  身を守るために使われた携帯用の弓
○半弓 製法は弓と同じで長さは六尺前後(1,82m),枕弓などと云うのもあり,支那弓をまねて握りの幅を狭くして上下を広くした物や弭の形をかえて烏帽子弭や夷弭にしたものがあった。
○鯨半弓 鯨の髭や鼈甲でつくられ,長さ三尺(約90㎝)半弓と籠半弓の中間的な長さで枕弓などとして多く用いられた。鼈甲半弓と言うのもある。
○籠弓・籠半弓 半弓のさらに短い物で李満弓ともいう。長さ二尺(60㎝)程度で鯨の髭でつくられた。
○畳弓 中央に蝶番ががあって二つに折りたためる弓
 
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●遊技弓   遊戯に使われた弓
○小弓 平安中期後盛んに行われ,禁中では体配までも定められ,賭弓,小弓百矢どの競技が行われ,装束もあった。弓の長さは四尺一寸,矢の長さは一尺七寸で式的は一尺八寸程度であった。
雀小弓は鎌倉初期,雀を糸にて括り,射中てた者は其の雀を得る遊技
○破魔弓 正月に子供が小弓を以て的を射る遊技である。徳川末期になって羽子板同様祝儀の物となって,実際に射る事ができない玩具の弓となった。
楊弓 始め柳の木で作られ,弓は二尺八寸(85 cm)矢は九寸(27 cm)から九寸五分、的は三寸(9 cm)- 三寸五分(11 cm),的までの距離は七間半(14m)で座って引いた。
平安貴族社会で娯楽として行われ,常盤御前なども楊弓に没頭したといわれる。婦人の楽しみとして室内娯楽の1つであった。
江戸時代には民間で行われ,人の多く集まる寺社付近にはたくさんの矢場が設けられ,手軽な娯楽として庶民に広がった。
次第に娯楽性が増し,賭けが行われたり,矢場には矢取り女と称する色を売る接客婦がおり,しばしば取り締まりの対象となったようである。
やばい!!と言う言葉の語源ですね。
 
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