文芸、創作ノーツ
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あああ

よのなかって、なにがたのしいんだろうってさいきんよくおもう

しごと&小説

しごと。



たいへん。



小説を、なんとかかくしかない。


書く。時間がなくても。

オンチークス

ストロークスとリバティーンズは、結構にている。 というのは、ヴォーカルの声質、キャッチーなギターリフ、ハイトーンのベース、ハイハットの多用。 しかし、ぼくは前者が死ぬほど好きで、後者はまぁまぁ。 その決定的な差はなにか? それは、ストロークスのヴォーカルの歌が、へたくそだということ(すごい結論)。 もっと細かく言うと、ストロークスの歌メロは、コード感と全くあわせないのに対し、 リバティーンズは、コードと歌メロが同じなのです。 だからぼくはパンクと呼ばれているグリーンディとかあの辺が、単なる演歌と同じだとおもうのです。 演歌にビートつけただけ。ブルースではない。 しかし、ピストルズは違う。 ご存知のとおり、Jロットンはクスリのやりすぎで腐った歯から搾り出されるへんてこなメロディがある。 リバティーンズは、コードと同じことをメロディで歌っている。 ストロークスは、コードとぜんぜん違うメロディを歌っている。 その違和感がいいのです。

ゆず

ゆずをきいているひとに、ディランをすすめても、100%フラれるのはなぜだろう。


結局ゆずはフォークであり、ブルースではないのだ。


ああ演歌よ、フォークという名の、演歌。みんな演歌が大好き。


それでええんか。




おあとがよろしいようで。

アンチ・ヒーリング

働いているところ、店内では、ヒーリング的な、おとなしい音楽をながすことになっている。



それで、坂本龍一のピアノでもかけようかな、とおもってかけてみたが、


あれはだめだった。



調性があまりに不安定だし、リズムが強いからじっとしていられない。


あれは人を不安にさせる音楽である。



サティでもかけておくか。



エリックサティ聴きながら働けるなんて最高だが、母親が毎日のようにかけてるせいで飽きたんだがな。


なんかないかな。

パーフェクト・サークル

緊張すると、ぐるぐる歩き回るくせがあるみたいで、最近、緊張の連続なもので、半径1メートルぐらいを、円を描きながらうろうろとまわっているらしい。


自覚はないのですが、きみなにをうろうろまわってるの、といわれるのです。


そうしてはっときづく。



結構なスピードでまわっているのです。



ぐるぐるとミステリーサークルつくるみたいに、ぐるぐるぐるぐる。



その間、あたまのなかはからっぽで、なにもかんがえれなくて、ただあしだけがうごいている。


すごいクセだ。



銀行でぐるぐるまわっていて、周りに奇異の目でみられた。


駅でぐるぐるまわっていて、おっこちかけたことがある。



このぐるぐる。ほんとうに自覚がない。



すごくはずかしいのだけれど、なんか、うれしい。自分にこんなばかげたクセがあったのか、と思うと、ばかばかしい自分にすこしうれしいが、



そんなんでよろこぶなんて、ひどくなさけない。

ボヘミアンな文体

柄谷行人氏は、哲学の確立は文体の確立によって立証されるみたいなことをかいていましたけれど、とにかく、ぼくはよく、英語の音楽の歌詞を勝手に翻訳したりして遊ぶのですが、どれにしたところで、この文体になってしまうのです。


だから、たとえばぼくが翻訳者にでもなったなら、当然この文体ですから、ぜんぶの小説がこの文体で、Eブロンテだろうが、バロウズだろうが、この調子になるのでしょう。



これはおかしなことだ。だれが翻訳しているかすぐバレる。


むかしはよくいろいろな文体を使い分けたものでしたが、とつぜんこの文体になってから、もう、かえる事ができなくなってしまった。


これは冒頭で述べたように、ぼくのなかで哲学らしきものが確立したのであろうか。


ためしに、クイーンのボヘミアンラプソディのサビを翻訳してみる。



Mama, just killed a man
Put a gun against his head
Pulled my trigger, now he's dead
Mama, life had just begun
But now I've gone and thrown it all away
Mama, ooo
Didn't mean to make you cry
If I'm not back again this time tomorrow
Carry on, carry on, as if nothing really matters


ママ、ひとを殺しちゃった。

あたまに鉄砲をむけて

引き金をひいたら、死んじゃってた。

ママ、ぼくの人生はまだはじまったばかりなのに

もう、なにもかもおわっちゃったよ。

ママ、ああ、

ママを泣かせたくなんてなかった

ぼくがもし、明日になって戻ってこなくても、

このまま、このまま、まるで何事もなかったように暮らして。




なぜこの文体でおちついたのか? おちつくのはいいけれど、これ以上進歩しなくなっては困る。

Tレックス

仕事場で、ラジオがかかっていた。



そこでながれてきたのは、20センチュリーボーイ。


ひさびさにきいて、


冗談ぬきに、こんなイイ音楽がこの世にあったのか、とおもった。



仕事に毒されて、ろくにロックをきいていなかった。


ひさびさにきいたTレックス。



とてつもないポップチューンでした。


最高だ。Tレックスは最高。めちゃくちゃ元気がでた。



たましいが引き裂かれた。



追記:歌詞


友だちはいうんだ、いいねって。友だちはいうのさ、最高だって。

みんないうのさ、そいつがまさにロックンロールってやつだって。

おれは猫みたいにもだえ、コンピュータみたいに充電し、

蜂みたいにさす、ベイベ、おれはあんたの男になりたいのさ。

そう、わかりきったことさ、あんたと会うのは運命だった、いえい。

おれはあんたのおもちゃ、あんたの20世紀ボーイさ。


たまに自分の文章をじまんしたくなる。うぬぼれとはわかっているけれど、やっぱりすきだ。

 近頃はもう、食欲もないし、味噌汁と、豆腐に手をつけただけで、ご飯をすこしたべ、あんたお肉大好きでしょう、と母が目をまるくしたのだけれど、ぼくは甘辛く焼いた醤油の焦げたようなにおいを嗅いだだけで胸がわるくなりそうな気になり、お肉には手をつけないで、じっさい米をのどに通すだけでもいっぱいいっぱいなものだから、自分でもなにが原因かあんまりよくわからないのだけれど、歯が折れたことがショックだなんてばかげたことはあるまいし、やっぱりあのサブの一件があってからどうもおかしく、しばらくだましだましいたもののついに食欲の減りが目に付くまでになってしまったのであった。きっと、かんがえすぎなんですよ、と女にいわれて、確かにそうかな、とも思いつつ、仕事ばっかりで気疲れがたまっているんですよ、といわれても、そうかな、と思いながら、まだ社会に出て、お互い息継ぎできないですもの、と暑がりな犬みたいに舌をすこし口からだらりと垂らして、水面から顔をだしているのだといいたげな表情をつくってちらちらぼくをみながら、ぼくがわらうのを待っているみたいだからとりあえずクスクスわらうと、女はとたん真顔にもどってため息をつき、その愛嬌のかけらもなくなった表情をみているうちに仕方がないからぼくもため息をつくと、女はそれがおかしいのかわらって、雨降って、地固まるですよ、と、あっているのかどうかわからないとつぜんのことわざにも、そうかな、とおもってしまった。

打つ

そうそうみんな、仕事に熱中できるものではないでしょう。


仕事が好きな人はそれでいいけれど、ぼくのようにそうでない人はいったいどうやってすごしているのだろうか。


休日か、趣味か。


とにかくそういったものがなければ、とても乗り越えられないであろう。


ぼくは、小説をかくことしかできないし、かくことによって、相対化できる。



しかし、趣味にしてはきつすぎる趣味だ。


けれど、書かずにはいられないし、人生の辛さに盲目的になる趣味とはちがい、人生の辛さを紙面に移し変えることができる。


あくまでも翻訳作業なのだ。


安吾もサンスクリット語をやったみたいだし、欝にはこれがいいのか。


とにかく、欝だ。つらすぎる。


がんばってれば、かならずいいことがある。