すたいるかうんしる
お客さんとか、広告代理店とかに、プレゼンテーションしないといけないのだけれど、
自分のスタイルというものを確立しろ、といわれて、ぜんぜんピンとこない。
自分のスタイルとはなんであろうか。
というよりも、自分という「自分らしい」なんてはじめからないのであって、自分らしさに囚われると紋切り型な人間になってしまうし、だいたい自分らしく生きれたり「自己分析」「自分さがし」とかできたりするぐらいなら社会に出るのにここまで抵抗はなかったわけで……
とにかく、スタイルなんてない。いわば、「文体」のようなものなのだろうけれど、ではどんな「文体」か、と言われると、こういった文体です、とはいっても、この文体は自分ではない。むしろ他者との翻訳媒体であるから、結局「自分のスタイル」というのは、翻訳媒体のことなのであろう。
つまり、翻訳媒体を確立しないといけないのかな。
しかしぼくの文体賛美傾向というのは、ある意味で、文体というのは、通貨と同じ(通訳的な)流通物であるから、貨幣賛美、つまり、資本主義賛美につながっているような気がする。
さいきんは、文体を疑っているし、原子というものも、実はあり得るはずないと考えている。そのうえ、純粋なるもの自体を疑ってかかっている。
どんづまり
アンチ・キムチィプス
在日韓国人のかたと友達になった。ハタチの仕草のかわいい子である。
自分から「韓国人なので」とサラっといってくれたから、この人はたのしいな、とおもった。
韓国のキムチって、辛くないというのは本当ですか、と一緒にご飯をたべながらきいてみた。
彼女はすこし考えてから、くろさんは、お漬物をたべるときそれがすっぱいかどうか考えながらたべますか、という風に、逆にきかれてしまった。
ぼくは、がーんとなったのである。
つまり、キムチ=からいもの、という公式は、まぬけな日本人のでっちあげた(ぼくのことね)ばかげた公式だったのである。
「お漬物に、いろんな味があるみたいに、キムチにもいろいろなものがあって、からいとかでなく、それぞれいろんな味をたのしむんです」
キムチ、といったら、からい、一種類しかないものだとおもっていた。
柄谷行人が、『マルクスその可能性の中心』で、マルクスは商品という自明性のあるものを疑ってかかった、というようにかかれていたが、まさにそのような体験であった。
岡崎乾二郎氏も、芸術とは自明性の発見だといっていた。
ぼくはまさに、キムチにおける、ドゥルーズのいう「オイディプスくん状態」であった。
その子は、しごとにおいて9割くらい天然の入っている少女なのであるが、実際に話してみると、ぜんぜんそんな感じをみうけなかった。空回りしているのであろう。なんとかしてやりたい。
もんきり
社会にでると、紋切り型に生きているひとをたくさんみることになった。
「自分はこういった人間で、変えることができない、生き方を変えては、自分が今まで生きてきた過去を、否定することになる」
みんな、道をせまくせまくして生きている。
そういった人は、えらそうにしていると、むかつくし、謙虚すぎると、せつない。
みんな、真剣すぎる。
あらすじ
もともと、安吾の文体で小説を書いていたが、書いた当初から相次ぐ批判(主に安吾文体のチープさから)により、いきなり文体を変えることをすすめられ、気に食わないながらもすこしずついろんな文体をとりいれて、中上健次やら、村上龍やら、いろいろ真似してみたがうまくいかず、 途中のスタインとデュラスの影響を大きく受けながら、現在、田中小実昌、樋口一葉、尾崎翠の文体をパクっている。
小説を書き始めたのが2004/10月で、上記文体にたどり着いたのが2006/3月、一年半ほどというのは、早いほうなのかどうか、わかりませんけれども、とりあえず今の文体に落ち着いたので、さてどうしようかな、といったかんじで小説をかきはじめるつもり。
くろ