最後の前の?
まず初めに
てち&トシ
誕生日おめでとう!
さて、関東へ出てきた時を思い出してみる
出てくるきっかけはトシ
人生の中で大きなきっかけ
今この場所で自分があるのは貴方のお陰だね。ありがとう
続いて出会ったのはヨシヤか
初めっからよく食うし良く喋るやつだなと。
田舎者だった俺は
「これが関東のノリか!」と思ったね
違ったけどね。
それからてちとアッキーと初対面だったな
アッキーは宇宙の話をしてたな。超マニアックな。
何だよダークマターとかニュートリノって。未だにわからねえ
博識だねぇと思ったのもつかの間、
キングオブ適当だったね。
てちは、なんだろうね
バリアがあった
ATフィールドと呼ぶにふさわしいバリアが。
これが関東の「心の壁」なのか!と思ったね
これまた違ったけどね。
実はメンバーの中でてちと会った時が一番多いと思う
黒船が終わったとしても皆との繋がりは続いて行くんだろう
皆に迷惑をかけて、助けてもらって、今があるよ
最後のライブは、とりあえず楽しく行こう
ありがとう
ダイキ
【水曜担当:てち】さぁっ! 今週だっ! 泣いても泣かなくても最後っ!
こないだ、最後の合同リハーサルでしたo
2年間 活動してて最後のスタジオの空気、ちゃぁんとMDに録っちゃった♪
いつかこのMD聞きながら、
「あの出会いがあって、あの別れがあったから今の自分がいるんだなっ!」
って前向きに言えるように、今の自分に負けないように頑張らないとねっ☆
高校生の頃は演劇部でした! 顧問と喧嘩して途中で辞めさせられたけど!(笑)
軽音部も掛け持ちしてて、文化祭は行ったり来たりで3年間一回もお店回ったり
したこと無かったよo 学校行かなかったり、制服なんてきたことなかったけど、
不良って呼ばれてるグループに属する事もなく、まぁまぁふっつーの生徒でしたo
高3の春ぐらいから、みんな大学行けるもんだと思ってて(ノビ太くんも行ってるし)
進学する人と同じ単位数を取ろうと頑張った気がする! でも、なんか違ったなo
結局、秋まで進路決まらかったけど、まぁどうにかなるだろうって思ってたo
そんぐらいの頃かな?
藤沢市でやってる平和市民ミュージカルに参加したんだ! 経緯は覚えてないけど!
でも、そこで稽古やったり、歌歌ったり…すげぇ楽しかったし学校より勉強になった!
でね、そうゆう団体って神奈川にいくつかあって、時期をずらして公演してるみたいo
その年のクリスマスに、うなぎ計画のササさん(ベイジャンの工事やったり、川崎の
プラザソルを管理したりしてる神奈川演劇の偉い人o)主催でクリスマスパーティ、
通称「クリパ」ってのが開かれたんだ! で、ほかの団体の参加者とも交流できる
からってんで、行ってみたってワケ! 前置き長くなってごめん、こっから本題っ!!
神奈川の市民参加型演劇団体は、その地域ごと(横浜、藤沢、町田、緑区、栄区)で
参加者を募るんだけど、演出やってる人と音楽担当してる人のペアは同じなのねo
僕が「尊敬する人」欄に毎回必ず書く、その音楽家・くろだゆうじさん(60歳過ぎ)の話o
そのクリパ、クリスマス当日は避けたとは言え、すっごい参加者の数だったんだo
それまでは、藤沢の1団体に参加してただけだから、そんなバックホーンがあるって
初めてその時知ったよo でも、すごい人数ではいたんだけど、やっぱり基本が初めて
会う人同士だから、やっぱよそよそしかったり、同じ団体で固まっちゃってたんだよねo
それぞれの団体が年に一度せっかく集まるのに、なんだか壁を作っちゃってるみたいo
「あぁ、やっぱりこんなんなんだなo 学校とあんまり変わらないや」って思ってたその時、
音楽の黒田さんがギターを持って一曲歌ったんだo 今まで好き勝手してた人たちが
一瞬で釘付けになって、次の曲は全員で大合唱!
感動したo
それまでバラバラだった人たちの気持ちを一瞬でひとつにまとめられるその存在に、
そして、その会場の誰もが知っているその歌にo 生まれて初めてこうなりたいと思ったo
僕はその年、全部の団体を回って「平和ってなんだろ」ってのをみて学んで、考えたo
知れば知るほど、自分の中でひとつの答えができたo 「まずは教育から変えないとo」
たまたま母親が教師だったo それまであまり仲良くなかった母親と話す機会が出来たo
いまだから思うけど、学校で教わることってすごく大事だったって思う、本当にo
僕はね、歌の「あり方」はここにあると思うんだo
進学を諦めて音楽の専門学校の作曲学科に入ったo あのクリスマスの奇跡を信じてo
いま、あの時の想いはどれぐらいかなっているだろうか、
たまに、自分がわからなくなった時、あの瞬間の気持ちを探すo 悩んでらんないよねo
今日、ひとつ歳を重ねましたo
次が黒船最後のライブですo