初釣りの儀 小ボケ向い/勝山 2024/1/13 | くろだいのてれんこ日記

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今年は

毎年恒例の1月2日の初漁がなかったんで

先週の3連休で釣りに行こうと思ってたけど

予報が悪かったんでそれも延期


「日頃の行ないか?」

とも思ってみたけど

天気は全体の事だから?

「釣りに行こうとしていた誰かの行ないか?」

と私得意の責任転嫁!?


今日の予報も

前日の南西が一時凪るけど

昼前から西風が強くなる予報なんで

「今回はどうしようかなー?」

とも思っていたけど

“初釣りの儀”の用意は万全なんで

“早揚がり上等!”

やっぱり釣りに行っちゃいましたー


そんな予報だから

「お客さんも少ないかな?」

なんて思ってはみたけど

集まっていたのは

(私よりももっと)“早揚がり上等!”の

常連さん達ばかりじゃん!



渡船の準備をモタモタしていると

もう「誰々はあそこ!誰々はそこ!」と

渡船場所が決まっているらしく

私も希望を聞かれたけど

「“初釣りの儀”があるんで···」

と言ってみたら

「はい!はい!」だって!?

(性癖から何から···

みんなもう周知していらっしゃる)


全員を渡した後

船に残った私を船長が連れていくのが

浮島の民宿の堤防


この浮島のてっぺんにある

浮島神社にお詣りしてから

今年の釣りを始めるんだよねー



【浮島神社について(鋸南町hpより)】

勝山沖に浮かぶ風光明媚な浮島は、手つかずの原生林が残る無人島。「日本書紀」にも登場する古代伝承を今に伝える伝説と信仰の島です。

 はるか昔、日本の国造りに深く関わったとされるヤマトタケルノミコトという人物の伝説が日本には古くから語り継がれています。大和朝廷に従わない各地の部族を平定して功のあった武勇優れた若者で、東国平定の遠征の途上、病で亡くなります。ヤマトタケルは景行天皇の皇子でした。天皇は深く悲しみ、せめて遠征と同じ経路をたどって我が子を偲びたいと、房総へ渡って来たと伝えられます。

 「日本書紀」によると、景行天皇五十三年秋八月、大和を発った天皇は、十月に上総に至り海路安房へ渡りました。そして浮島に行宮を設けてしばらく滞在、ここでお供の臣、磐鹿六雁命(イワカムツカリノミコト)という人物が料理の腕を振るい、天皇から賞賛されたと言います。さらに詳細な記述は、六雁命の子孫である氏族・高橋氏が記した「高橋氏文」にあります。不思議な鳴き声の海鳥やカツオの名前の由来など、浮島を舞台に古代の伝承ロマンが綴られています。

 「巻向日代宮(マキムクヒシロノミヤ)の大足彦忍代別天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト・景行天皇のこと)はおっしゃいました。愛しい我が子を思い悲しむのは、いつになったら止むのだろう。天皇は小碓王(オウスノミコ・ヤマトタケルのこと)の平定した国々を見巡りたいと、伊勢に行幸して、転じて東国へ向かい、十月上総国に至り、安房浮島宮に着きました。

 お傍に仕えていた磐鹿六雁命は、天皇が葛飾野に狩りに出かけた時、大后の八坂媛(ヤサカヒメ)とともに浮島に留まっていました。その時、大后が六雁命に言いました。この浦に「駕我久久(ガガクク)」と聞こえる不思議な鳴き声の鳥がいます。その鳥をぜひ見たい。六雁命は舟を出して探しますが、どこかへ逃げ去って捕らえることはできませんでした。

 舟を返す時、多くの魚が舟を追って来ました。六雁命が弓の先の部分の堅い角弭(つぬはず)を海中に入れると、魚が食いつき、面白いほど多く捕れました。そこでその魚を「頑魚(かたうお)」と名付けました。今の言葉で言う「鰹(かつお)」です。また舟が干潮で砂上に上がってしまい、掘り出す際、八尺白蛤(やさかのうむぎ)を得ました。この二つを大后に献上したところ、お喜びになり、さっそく料理して天皇にお勧めしたらよろしいでしょう、との言葉を賜りました。

 そこで六雁命は、武蔵国造や秩父国造の先祖たちを呼び集め、これをなますにし、煮焼きし、さまざまに料理して盛り付け、準備を整え、天皇が狩りからお帰りになってから進上し、たいそう喜ばれたということです。」(「高橋氏文」意訳)

 六雁命の取り逃がした鳥は「日本書紀」では覚賀鳥(かくかのとり)とあり、ミサゴの古名と言われます。ちなみに勝山海岸にはミサゴ島という岩島があります。白蛤はうむぎとあり、これもハマグリの古名だそうです。また堅い角で出来た弓の先でカツオを獲る法は、まさしく現在の疑似餌の発祥と言えます。

 景行天皇から膳大伴部(かしわでのおおともべ)の姓を賜り、諸国の膳夫(かしわで・料理人のこと)の長として、末永く天皇家の料理をつかさどることを命じられた磐鹿六雁命は、のちに料理の神様として浮島神社に祀られました。いわば日本料理発祥の地が鋸南町勝山の浮島なのです。

 浮島神社には景行天皇、日本武尊、磐鹿六雁命が祀られていましたが、現在は加知山神社に合祀されています。毎年七月第二土曜日の勝山地区祭礼の翌日曜日、加知山神社から浮島神社へと御霊の島渡しが行われ、この日だけ浮島神社に御霊が戻ります。夕方にはまた加知山神社へと渡御され戻るのです。




いつもはてっぺんにある社まで行くんだけど

去年の災害で道が土砂崩れで塞がれていて

行けるのは新しく建てた

途中の鳥居まで



神様には申し訳ないんだけど

(もうすっかり足腰が弱くなった)

私にはここがやっぱり限界


そして

船長も待たせてるしね?



「あっ!普通にルアー楽しんでるし!」

(私を渡す前ヒラスズキのボイルあったよ!)


そうそう

忘れてはいけない私の“ビーナス”にも

ちゃんと挨拶しないとね?



(人間の女性には相手にされないんで

せめて女神(の像)だけでも···)


その後私が渡ったのは

西風が強くなる予報だったんで

影になる大ボケの

“小ボケ向い”



(そう言えば数年前

同じように初釣りでいい思いしたっけ?

という“すけべ根性”があったか?無かったか?)


そして

釣りをする前に行うのが

もうひとつの“初釣りの儀”



1年間お世話になる釣具と釣場

そして海に御神酒を撒いて清めること


ちなみに私は下戸なんで

「もったいない」

なんて微塵も思わずに撒けますけど


ようやく釣りをスタートすると

水道の奥に向かって流れる潮


餌盗りも五月蝿そうじゃなかったんで

沖側に背中を向けて

水道に向かってコマセをパンパン


そんな開始早々

派手なアタリで釣れた

“2024年ファーストフィッシュ”は

31cmのクチブト



沖向きで釣っている人達は

小ナガと戦っていたけど

(キーパー未満だけど)

こんな脂の乗ったクチブトだなんて

「私ってやっぱり釣りが上手い?」

なんて思ってみたけど

はい!

皆さんの思い通り

お詣りのご利益なだけです···


その後は

コマセを入れ過ぎたか?

釣れても釣れても···20〜30cmくらいの···

確変突入!

小ナガになっちゃったよー



そうこうしている内に潮が変わり

仕掛けが張れなくなってきたんで

沖側に足場を変えて

“ど遠投!”


しかし!しかし!

潮が全然通ってなくて

フラフラしてるじゃないかー!


釣れない時間というよりは

はい!はい!

言われなくても自覚しています!

アタリを出せる腕が無くって

「はーいい天気になったねー」

と現実逃避タイム


沖側も餌盗りもそんなに五月蝿くなく

仕掛けが十分に通るんで

大物狙いや黒鯛も狙ってみたけど

(赤いめでたい魚も!)

冷たい底潮に冷たくあしらわれ···

(家では嫁に冷たくあしらわれ···)


心配していた西風は強くなく

沖揚がり時間まで持ちそうだけど

早揚がりの可能性もあったんで

コマセをバンバン撒いていたんで

バッカンのコマセも残りわずか


いつもは餌盗りを養っているけど

今日は(小魚がいないのか?)

カモメを養うはめになったけど

そう言えば

「メジナのしゃぶしゃぶが食べたい!」

と言っていた石鯛さんのヤモメも

養わないといけないんだった!?


磯際でも付け餌が残るんで

ここなら

少ないコマセでも効かせることができるんで

仕掛けを入れ込んで張り待ちすると

アタリはあるんだけど乗らない!

(離す感じで活性が低いのか?)


いつもなら乗せ合わせをするんだけど

イライラしながら次は掛け合わせ!


これが決まって

まあまあの重量感で上がってきたのは

33cmのクチブト



私の(生意気にも)キーパー未満なんだけど

見て!

この幅広パンパンの美味しそうなメジナ


針も飲み込んでいたし

(あれ?活性低いとか言ってなかったっけ?)

ヤモメの餌には十分なんで

これをキープして捌いてみると

ナイフには脂べっとりで

お腹には白子パンパン!

(あー私には補充が必要な···)


「釣れたの黙っておこうかな?」


ここで

ちょっと釣りを終えるのは早いんだけど

コマセも無くなったし

針を結ぶのも面倒くさいし

(むしろこっちの理由だろ)

ここで飼っているカワガラスに餌をやったり

キラキラした海を眺めていたり



(えっ?目が悲しそうだって?)


実は···

釣りの途中に情報を聞いたんだけど

大会や釣りフェスティバルで

気さくに話しかけてくれたり

お世話になったりしていた

(家の嫁にもいつも気さくに声かけてもらったし)

“釣り業界で有名な方”

関東いや東日本いや

“日本全体の磯釣りを牽引してきた方”

と言っても過言じゃない方の訃報


確認できていないから

まだ半信半疑なんだけど

釣りをしながら

過去お会いしていた時の

思い出を振り返っていたら悲しく···

(確認できたら···たぶん大泣きする)


初釣り早々

そんなこともあったりしたんで

“辰年”は旅“発つ年”でもあるのかなー?

なんて思ってもみたり



さて

早揚がりどころか

遅れて沖迎えにきた船長



(いつもとは違う方向から来やがった!)


民宿堤防で拾ったルアーをあげたら

それを使って投げてみたら

何発も食ってきたって

朝とは打って変わってご機嫌

(まあ全バラしみたいだけど)


港に戻ってから

今日はみんな常連さんだけだから

“勝山恒例”

和気あいあいと情報交換


石鯛も釣れてたみたいだし

浅場に入ったウキフカセの人達は

まあまあの釣果だったらしいけど

私含め

深場に入った人達は

やっぱり私と同じような釣果

(デカいメジナを「バラした!」と

言っていた人はブダイが十数枚釣れたって)


強がりじゃないけど

今年の“初釣りの儀”も

無事に楽しく終えることができたんで

良かったなー

(やっぱり強がりでしょ?)


さて

こんな貧果のブログを読んでいただいている

(奇特な)皆様

今年も釣果より?ネタが中心のブログですが

懲りずによろしくお願いいたします

そして私の初心表明は

皆様を

「ムギぎっ!」と言わせられる釣果が出せるよう

頑張ってまいります!

(みんな鼻で笑っている気がする?)