◼️ウンゲNZ紀行⑧
12/9NZ 4日目、PM17:00頃。この時間のNZはまだまだ明るい。(日没が21時過ぎ)キーウィハウスを出て、ワイカト州のラグランという町に向かう。サーファーに有名な海のある町だ。日本のガイドブックに載ってない町故元々組んでた行程にはなかったのだが、ネットで見つけ、近場ということもあり行ってみることに。山道(と言っても木々はなく、巨大な丘の様な)を抜けて辿り着いたその町は入江に面していて、遠浅に広がる海に囲まれた寛大な印象の町だった。
12/9NZ 4日目、PM17:00頃。この時間のNZはまだまだ明るい。(日没が21時過ぎ)キーウィハウスを出て、ワイカト州のラグランという町に向かう。サーファーに有名な海のある町だ。日本のガイドブックに載ってない町故元々組んでた行程にはなかったのだが、ネットで見つけ、近場ということもあり行ってみることに。山道(と言っても木々はなく、巨大な丘の様な)を抜けて辿り着いたその町は入江に面していて、遠浅に広がる海に囲まれた寛大な印象の町だった。
ビーチには橋や桟橋があり、そこからヤングな人たちが一様に飛び込んで行く。スケボー用のコース?もあったり正にサーフな若者のスポットなのだが、入江を少し奥に辿ると淡い色の葉っぱをつけた木々が並ぶ穏やかな場所もあった。
事前に調べておいた寿司屋「AROHA SUSHI」にて夕食をテイクアウトする。NZ、寿司屋がびっくりするほど多い。どんな小さな町でも大抵寿司屋が1,2軒あるのだ。ただ味は御察しらしいのだけど。その中AROHA SUSHIは数少ない日本人が営む寿司屋だ。白人の少年がレジを打っていて、厨房の方から日本語の話し声が聞こえてくる。覗くと長髪を後ろに縛った、記号の様なサーフオヤジとその奥さんであろう人が見えた。奥さんも日本人かは判らないが、二人は流暢に日本語で会話をしていた。日本から遥か遠いこんなところで、厨房から暖簾越しに届く日本語のお喋りは僕には歌の様に思えた。僕はサーモンロール、彼女は握りと巻物の盛り合わせの様なのを頼む。店を出る時、厨房に向けて「有難うございましたー」と。主人の「お?」という声が聞こえ、暖簾から奥さんが顔を出す。「日本人の方?有難うございますー」と、笑顔で。
入江の中側、静かな所で海を見ながら寿司に舌鼓を打つ。とても美味しかったし、日本の寿司だった。そしてミスマッチなNZの海。なんたる体験。僕はこれから寿司を食べる度遥か遠いこの海のことを思い出すかもしれない。少しずつ日が落ちて行く。カモメが空を横切る。海や鳥が何でときめきをくれるのかっていうと、他の大地と繋がってるからなのだろう。
彼女の誕生日が近かったもので、日本からプレゼントを持ってきて初日の夜に渡していた。木製のリコーダーなのだけど、あまり喜んではもらえなかった…。てのも彼女は元々別のリコーダーを持ってきていて。ただでさえ荷物を減らしたい中リコーダーを2本持たなければならないのだからいい気はしない訳で。思慮が足りなかった。因みに彼女はリコーダーが得意な訳ではない。日本を離れる時何となく楽器を持ってきたかったそうだ。
海を前にリコーダーを吹いてくれと僕がお願いしていた。彼女は嫌々ではあるが、できるだけ人のいない場所を探して吹いてくれた。が、僕の買ってきたリコーダーは学校で使うタイプのリコーダーと「ファ」の押さえ方が違うらしく上手く吹けない。辛うじて僕がお願いした「パフ」ともののけ姫のテーマ曲を吹いてくれた。(彼女はジブリの曲だけやたら吹けた)聞きながら僕は旅の終わりを考えていた。明々後日の朝、飛行機に乗る。NZの陽は沈むのが遅いのだけど、時がくると急に暗くなる。
パフって曲に個人的に思い入れがあったのもあり、僕は旅のまとめとしてアメリカのフォークソングであるこの曲を自分なりに和訳してみることに決めた。彼女のリコーダーとセッションするのを録音して思い出にしましょう、と勝手に決める。心底嫌そうにしていた気がする。
帰路に着く。相変わらず助手席で。僕は景色と、時々彼女の横顔を盗み見た。