瞑想合宿4日目からは、一点集中的なアーナーパーナ瞑想が
ようやく終わり本格的なヴィパッサナー瞑想をやりました。
観察する身体部位を変えていくので、瞑想中は十牛図の
「牧牛」的に集中しやすくなりました。
身体の上から下、下から上を細かく観ていくと一時間くらい経過
するので集中出来た時は心身ともに楽でした。
牧牛 - 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、
捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。
慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。
ちなみにゴエンカ氏は十牛図について触れられていません。
悟りとは関係もない例えのハナシで
観察する対象を勝手に牛に例えてます。
やっとこ牛さんとの綱引きが少なくなって、
身体の微細な感覚を落ち付いて観る段階になりました。
これくらいから1日に3回各一時間は、
動いてはいけない瞑想時間が決められていて
3日目までは必死すぎて気づかなかった
足の痛みに「足、壊れる!」と思いましたね。
講和も含めて毎日11時間以上座っているので
その痛みの向こうに何があるのか?
という好奇心もあって続けていると、痛みさえも
移ろいでいくアニッチャ(無常)なのですが、、、
強い痛みは完全に消えるのではなくて、
また別の時間に現れるといったアニッチャ(無常)で
すべては移ろいで行くのでございました。
呼吸観察に必死すぎて気づかなかったホールの暑さも、
3日目までの苦しさの一部だったようです。
そういった身体の痛みや不快さが長時間座ることで、
もはや自分のモノというより、そういう状態が
(どこかに在るだけ)みたいな感覚にもなりました。
身体の隅々まで微細な感覚を観ていくことは
より深い心(無意識領域)にも連動して
起こっている心の反応に敏感になるようで
かなり興味深いものがありました。
その観察を徹底するために、どんな部位も見逃さないよう
細かく観るだけではなく、身体の円筒の裏表側面の4つ
を意識したり、見落としやすい耳のキワ上下左右
胴体の側面などを意識したり、観察する速度を変えたり
工夫もしていました。
観察の方法も日を追うごとに少しづつ複雑になって行きます。
毎日夜にゴエンカ氏の講和(翻訳された音声)があって、
物凄く興味深い内容なのですが、筆記用具の持ち込みが
許可されていないので、詳しくは覚えていないのですが
最新の物理学者の発見をも凌駕する仏陀の科学的な洞察、
人間の意識の最下部から起こる現象を鑑みた瞑想法の確立
などの超人的な仕事に改めて深く感嘆しました。
十牛図的の「牧牛」
↓ちなみにゴエンカ氏は十牛図について触れられていないと思う
↓膝の上が赤紫色の水膨れになっていて
何らかの毒素がでたのかも知れません。
↓水が出て
↓回復中
つづく
瞑想合宿①