3ヶ月に一度大阪で開催されている
「井上貫道老師」の座禅会は、
去年の12月に参加させて頂いて6月で4回目になります。
今回は老師のお話が、芯のところに響いたのですが
何故か聞くべき質問が浮かばなくて
今回はじめて独参(個人指導)に並べませんでした。
初回に参加してから、講和で導師が扇子を動かしたり
叩いて見せてくださっていたのに
解ったつもりになって何も解っていなかったなぁ~と。
耳に音が聞こえた事だけが事実で、何事においても
老師が扇子を床に打ったから音が聞こえた
という風な解釈を自分が作って、ただ耳で聞こえている
という事実は疎かにしていたのですね。
何も足さない、何も引かないサントリーのCMのごとく
美味しい山崎ウィスキーにはなれてない。
ずっと以前から潔よく
自分というものを立ててストーリー
を作ることをしないとか、
ものごとに対して解釈をしないでおくとか、
とても出来そうもないと思っていたのですね。
そのような心を少しでも治めるために座禅があって、
どこまで出来るかとか?
どこまで捨てきれるか?
はいったん置いて、
ただ座禅を座り、心の作る迷妄を濯いで
少しづつ生活の中に浸透させていくことが
大切なのかも知れません。
今回の座禅会での気づきは
先日のビパッサナの記事「耳で聞くこと」
とも連動していて面白いと思いました。
点描曼荼羅ワークショップ 菊理媛
https://ameblo.jp/kurisutaru10/entry-12680832673.html?fbclid=IwAR2bzOrf5rcjXYSlqPuOXCpzYGzdyMYnXvMw7U0XTpViNJBPPkeeiUqfqYM
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