こんばんは。都議の栗下です。

 

 

昨日は、家庭用ゲーム機を初めて本格的に普及させたファミコンが登場する以前の出来事について書きました。今日は、ファミコン誕生後のゲーム有害論と、それに対するメーカーとのせめぎ合いについて書きます。

 

■ファミコン有害論

1983年7月15日にファミリーコンピューターが発売。当時、カートリッジ型のゲーム機は他にも存在しましたが、高い処理性能と魅力的なソフトウェアでゲーム市場を席巻、子ども達は夢中になりました。

 

これまでのブログに書いた通り、アーケードゲームが主流であったこれ以前は、どちらかというとゲームそのものよりもゲームセンター=少年非行の文脈で問題視されていましたが、家庭用ゲーム機によってプレー時間が増えたことによって今度は、健康への影響が懸念されるようになっていきました。

 

国会で初めてファミコンについて取り上げられた質問は以下の通り、当時は脳や精神への影響よりも画面を見続けることによる眼精疲労や運動不足について心配されることが多かったようです。

 

 

 

当時の大人達はそれまで存在しなかった新しい遊びであるテレビゲームに子供たちが夢中になる姿を見て、様々な「仮説」を立てていくことになったのではないでしょうか。

当時、すでに「テレビは子どもに悪影響」という認識は広まっていたようですが、今度は「ファミコンは子どもに悪影響」と関連付けされていきます。

1986年に文藝春秋が「ファミコンは子供をダメにする」という記事を掲載したことが記録に残っています。これが本格的なファミコン有害論の始まりではないかと言われています。

 

 

■任天堂によるクオリティーコントロール

ファミコン登場以前、ゲームは中高生以上〜大人がプレーするものでした。しかし「ファミリー」の名前が示すように、今度は大人から子ども達までプレーできるようになった。というのが革新的な点でした。

 

子ども達までプレーするということは、上述したような健康影響への懸念や、当時現在とは比べものにならないほど影響力があったPTAをはじめとする保護者からの厳しい目線に耐え得るものでなくてはなりません。

 

昨日取り上げたアタリ社は、ハードウェアを作ると、自社にロイヤリティさえ払えば、どこの会社の誰でもアタリ用ソフトが作れることとなっていましたが、それが質の低下に繋がり、アタリショックを引き起こしました。

アタリの失敗を目にした任天堂は、ファミコンソフトにはトップダウンで厳しくチェックを行いました。これが、ゲーム規制論が本格的になる前に任天堂のクオリティコントロールが、自主規制のスタンダードを作る役割を事実上果たしたわけです。

 

例えば、ナムコの「スプラッターハウス」などは残虐表現のあるアーケードゲームでしたが、ファミコンに移植される際は「スプラッターハウス わんぱくグラフィティ」とタイトルも中身もコミカルに変えて、残虐表現は一切無しで売り出しました。(見た感じ、ほぼ別のゲームの様ですが、移植扱いになっています。)

 

(アーケード版)

 

 

(ファミコン版)

 

 

性表現についても、脱法的に裏ソフトを作る企業に対して法的措置を取ったり、厳しい管理をしてきました。これらの努力が、その後のゲーム業界の礎を築いたと考えると、任天堂の凄さが改めてわかります。

 

 

■高橋名人は保護者と子ども達の仲介役だった

 

 

高橋名人といえば「16連射」ですが、有名なセリフは「ゲームは1日1時間」ですね。

 

高橋名人はゲームソフト開発販売会社ハドソンの社員。この発言はゲーム業界の人達からは「ゲーム会社の人間がゲームをするなとは何事か」と怒られたそうです。しかしながら、ゲームの達人とされる高橋名人がこう言ったアピールをしなくてはならなかったところからも、当時の保護者からはゲームに対して否定的な目線が送られていたことが伝わってきます。

 

あまり知られていませんが、「外で遊ぼう元気よく」「僕らの仕事はもちろん勉強」「成績上がればゲームも楽しい」「僕らは未来の社会人!」などの標語も発信していたそうですが、ゲーム文化の更なる発展を果たす上で、保護者の理解を得るということを重要視していたということでしょう。

 

1980年代当時、マンガやゲームセンターについては既に条例による規制などが一般的になっていました。しかし、家庭用ゲームについてはそういったところまで発展することがなかったのは、上述したような任天堂やソフトウェアメーカーの努力があったことが言えると思います。

 

世論を敏感に汲み取った業界の自主規制というのは、行政による規制を進めないためにも重要な要素です。無論、世論が一時の感情や偏ったものの見方によって押し流され、変な方向にいかないことはもっと大切ですが。

 

ゲーム規制の歴史、まだまだ続きます。