こんばんは。都議の栗下です。

 

 

先日の小池知事発言で、東京都のゲーム規制議論について俄かに注目が集まりましたが、規制議論自体はこれまでも行われてきており、大局的に学び直すことは今後の規制抑止の助けになるかと思い至りました。

 

先般、マンガ規制の歴史についてまとめてきたようにゲーム規制の歴史についても時間をかけて皆さんと一緒に振り返っていきたいと思います。

 

 

■ゲーム規制議論はアーケードゲーム時代もあった(1970年代)

 まだ、家庭用ゲームが普及する以前、コンピューターゲームといえば、アーケードゲームを意味していました。

 

 世界初のアーケード式ビデオゲームは1971年に米ナッチング社が発売した「コンピュータースペース」と言われています。

ビデオゲームの父と呼ばれるノーラン・ブッシュネル氏はこのコンピュータースペースの開発に携わっていましたが、翌72年アタリ社を創業。開発したPONG(卓球ゲーム)などがヒットし、アーケードビデオゲームが世界的に流行します。

 

ビデオゲームの流行が続く中、76年4月にはアメリカのExidy社が発売した「DEATH RACE」というビデオゲームが非常に暴力的であるとしてニューヨークタイムズに取り上げられたという記録が残っています。これは、当時まだ無名だったシルベスター・スタローンが出演している同名映画にインスパイアされて製作された、車で次々と人やモンスターをはねていくゲームです。

 

 

デスレース批判は日本にも波及し、1978年岐阜県青少年育成県民会議が県内のゲームセンターに置かれていた「DEATH RACE」を撤去するよう求め、新聞でも「交通殺人ゲーム」と報道されました。

 

これに続き、青少年育成国民会議などは全日本遊園協会や警察関係、輸入業者に対し同ゲームの撤去を申し入れますが、販売自粛などは特に行われなかったそうです。

その後、神奈川県警が輸入業者を型式指定認可表示がないとして電気用品取締法違反で逮捕。半ば強引ですが、一旦過激なゲーム規制は落ち着きました。

 

 

■青少年条例がメダルゲームを禁止

アーケード全盛期のこの頃、メダルゲームが流行していました。少し前の70年代初頭に外国で流行していたギャンブルマシンを日本に輸入し、メダルと金品を交換しないという前提で営業したのが始まりです。

 

以前のブログでもご紹介しましたが、70年代後半といえば「青少年の非行」が問題視され、1975年以降の補導の数はうなぎ上りになり、不健全図書なども激増した時代です。

 

 

 

刑法犯少年のうち主要刑法犯で補導したものの人員、人口比の推移(昭和24~平成2年)平成3年 警察白書

 

岡山県で77年6月から施行された青少年条例では、メダルゲーム機がある場所への青少年の立ち入りを禁じる規定があります。同様の条例は相次いで富山県、滋賀県、和歌山県でも施行され、電気用品取締法が改正されることで一気に規制へ向かいます。

 

 

 

 

■インベーダーゲームが国会で議論に

メダルゲームが次々規制される中、翌1978年に発売された「スペースインベーダー」は空前の大ヒット。社会現象になり、喫茶店や駄菓子屋などにも置かれました。インベーダーハウスなどは不良の溜まり場とされ、学校では入場禁止などが言い渡されることも。

 

1979年3月2日の国会予算委第三分科会で、社会党の野口幸一衆議院議員がインベーダーゲームについての質問をしています。

 

野口議員「私はテレビゲーム(インベーダー)というものの性格から考えまして、現実にいま遊ばれている現状を見せていただいて、単なる遊技施設というものではない、むしろパチンコやそういう類、多分に射幸心をそそるものと異ならないのではないのか、こういう見解をいま持っておるのですけれども、現実にまだ見たことがないとおっしゃっておられるので見解が分かれるかもしれませんが、どのような気持ちでいまテレビゲームというものをとらえておられますか。」

 

インベーダーの流行を受けて厳しい状況にあったパチンコ業界も精力的にインベーダーゲームの法規制を求めます。

 

結果的に、インベーダーは業界が自粛せざるを得ない状況になりました。教育団体や学校では、インベーダー禁止令が出され、インベーダー代欲しさの窃盗やインベーダーを置いている店が不良の溜まり場になっていることなど、「インベーダーゲームは悪」という空気が醸成されたようです。

 

都議会でも1979年7月3日の定例会で、元国務大臣の小沢潔議員が都議時代に「インベーダーに関連した少年非行について、東京都青少年条例を含め営業規則の措置、新たな立法措置を講じることはできないか」と質問しています。

 

記録が残っている限り、都議会初のゲームに関しての質問であり、初めて都知事がゲームに言及した瞬間でもあります。この時の定例会は就任直後の鈴木知事の初舞台です。

 

 

このインベーダー規制議論はあまり長く続きませんでした。

というのも、この後ゲーム&ウォッチやファミコンが発売され大ヒット、新たに規制議論の対象となっていきます。

 

続く。