ここんばんは。都議の栗下です。


昨日は90年代初頭の宮崎勤事件に端を発したおたくバッシングと、西日本で頻発した一般コミックの有害指定について書きました。
今日はその後始まった成年マークとゾーニング議論についてお伝えします


■全国へと広まった自主規制(1990)

90年代初頭、西日本から始まった一般コミックの有害指定(昨日のブログ参照)は、国をも動かしました。
当時の総務庁は90年9月、出倫協(ブログ第3回参照)へと、自主規制の強化を求めていきます。
出版関係者で構成される出倫協は「公的規制に反対、そうならないように自主規制については出来る限り行う」というスタンスで流通や書店と協力してして対策を急ぎました。

90年11月、総務庁は「青少年の健全な育成を阻害するおそれのある図書の自粛、自主規制について」という文書の中で成人向けコミックを区別するための識別マークの必要性について触れています


近年の代表的な成年向けコミック識別マーク

これに対して出倫協は識別マークの導入のため出版業界を取りまとめ、政府与党との協議も行われました。
12月には識別マークを「成年コミック」マークとすることで合意、出版社が使う共通のデザインについても進められることとなりました。

わずか、数ヶ月でマークの導入が大きく動いたことに当時の規制派の勢いを感じざるを得ません。


■「成年コミック」マークが進めたゾーニング


「成年コミック」マークがなかった時代、購入をする消費者および書店から見ても続々と出版されるコミックスに対して、成人向けコーナーで売るべきなのか、そうでないのか、判断が難しい作品もあったのではないかと推察されます。

そういったいわゆるグレーゾーンの書籍に対して各書店の反応がまちまちであり、各地で起きた局所的なトラブルが時に一般向けコミックにも及ぶということが多々あったのではないでしょうか。

共通の「成年コミック」マークを策定することで、これらの書籍を「18歳未満の少年少女に販売しない」ことを書店、消費者の間での共通認識にすることによって、トラブルの抑止、ひいては一般コミックにおける表現規制が進められることを抑止しようとしたという見方もできます。

91年1月、出倫協、出版各社は「成年コミック」マークの導入について記者会見を行います。
会見の中で重要な点としては、「あくまで自主規制であり全社共通の基準を作ったわけではない、つまりどのコミックを成年コミックにするかは各社の判断に委ねられている」とし、表現の自由を出来る限り担保したことを示唆しました。


■「成年コミック」の始まり(1991〜)

こうして導入が決まった「成年コミック」マークですが、最初に導入されたのはどんな本だったんでしょうか?

導入第一号は決定の翌月に発売された「IKENAI! いんびテーション」の第3巻です。

 

週刊ヤングマガジンに掲載されていた作品ですが、性行為の描写はなく、当時の出版社がいかに規制に対してセンシティブになり、手探りで導入を始めたのかが伝わってきます。

ここにきて業界の中では賛否の議論が巻き起こりました。
大手コンビニチェーンはマークの入ったコミックは扱わないと表明マーク付きコミックは販路が大幅に制限される上に、有害図書指定のリスクは消えたわけではないという指摘もありました。

集英社、小学館は成年マークを入れた書籍は販売しないことを決めました。
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90年代、ものすごいスピードで進んだ「成年コミック」マークの導入ですが、2000年代にかけて進められていく、また今なお進んでいるゾーニング議論の嚆矢となりました。


上でも触れましたが、ゾーニングが徹底されることで、全年齢向けの表現規制を一部食い止めた側面があります。

当時、徹底が叫ばれた背景に、海外特にアメリカと比較してゾーニング議論が遅れていたという経緯があります。海外の規制との比較についてもいずれ調べてみたいと思います。


明日は、青島都政下における都条例改正問題についてお伝えします。

続く。