こんばんは。都議の栗下です。

 


昨日は1970年代の「不良」文化の始まりとマンガ規制議論の高まりについてお伝えしました。
今日は、今もまだ爪痕の残る89年の宮崎勤事件に端を発したおたくバッシングについて書きます。



■連続幼女誘拐殺人事件とメディア報道(1989)

1989年、女児4人が次々と殺害される猟奇的な事件が全国を震撼させました。犯人の宮崎勤勤氏は連日あらゆるメディアでクローズアップされ、特に逮捕後の彼の部屋に、大量の残酷な場面を収めたビデオテープや、いわゆるロリコンマンガが見つかったと報道は過熱していきます。


事件の衝撃は大きく、マンガやビデオの影響を受け犯行に至った→表現物の規制は必要という社会の空気を醸成するまでに至ったと言われています。

 

 

 

 

 

その後、事件の裁判の中で、6000本のビデオのうち、残虐なもの、性的なものは1%にも満たなかったことが証言されました。犯人のキャラクターを前面に押し出すために、逮捕後彼の部屋を撮影したメディアが本やビデオの配置を変えた事も明らかになっています


インパクトを求めた報道が元で、誤った偏見を社会に植えつけた悪例として、我々はこの一連の出来事を忘れてはいけないと思います。


■オタク文化の始まり(1970年代後半〜)
 


当時はいわゆるオタク文化の黎明期だと言われています。諸説ありますが、「おたく」という言葉が生まれたのは83年の「漫画ブリッコ」のコラムからだと言われています。コミケが始まったのが1975年、それらに集まるようなサブカル好きの方々が、「あなた」のことを「おたくら」と言っていたことが語源だとか。この辺は奥が深いので詳細はぜひ、ウィキペディアや書籍をご覧いただきたいと思います

重要なのは、この頃ちょうど世に出始めた「おたく」という言葉が前述の宮崎勤氏と結びつけられ、「おたく=危険」という負のイメージをその後背負うことになったという点です。
いかがわしい文物を読んで、「おたく」という新しい人種が出現したような、虚構の「イメージ」がその後の規制運動に与えた影響は大きなものがあると感じています


■西日本での単行本有害指定(1990~)

 


出版物に対して厳しい視線が向けられる中、火の手は福岡県から上がりました。
90年、福岡県が16点のコミックを有害指定しました。
各県の有害指定(都では不健全指定)は通常、中小の出版社による成人向けの雑誌が主でしたが、集英社、講談社、小学館といった大手出版社の「雑誌」ではなく「単行本」がこれだけ一斉に指定されたことは出版事業者たちに大きな衝撃を与えまし

福岡県はこれを機にに出版関係事業者に対して自主規制の強化を要請。出版事業者たちは「有害図書指定をされたものと、されそうな書籍やビデオについては成年コーナーでのみ販売するよう」書店に対して要請します。

加えて、大阪府、和歌山県などでも、この時期に規制強化の条例改正や有害図書指定が進みました。

 

 

 

 

 

これら西日本発の規制強化は宗教団体が陳情・請願や諸々のロビー活動を行ったことで進んでいったという指摘もあります。(実際に宗教団体が動いた痕跡や支部の所在地で具体的な動きがあった。

これらの動きがメディアを通じて報じられることで、90年代に国会で始まるゾーニング議論にも影響を与えたと言えます。

全体のごく一部であっても組織だって動けば、大きなムーブメントとなり得る証左です。これには良い面も悪い面もあると思いますが、大切なのは主張された規制と社会問題の解決が噛み合っているのか否か。そしてそれは規制後もそれで終わりではなく長期的な視点を持って検証されていくべきではないでしょうか。


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史上、最大のおたくバッシングであったと言われる連続殺人事件。その後の世論や規制の流れにさえ影響を与えました。
何か衝撃的な事件が起こったときには、その勢いに飲まれることの無いよう、特に冷静にならなければならないということは、人間社会普遍の真理だと思います

明日は90年代のゾーニング議論についてお伝えします

続く。