こんばんは。都議の栗下です。

 


昨日は、70年代初頭問題になったマンガ3作品について書きました
今日は、70年代〜80年代前半についてお伝えします


■不健全図書激増の謎(1977~)


以前、入手した東京都の不健全図書記録を見て気になっていたことがあります。それは、年ごとの不健全図書の推移です。下の図をご覧ください。



これは、年ごとの不健全図書数を12で割って、ひと月ごとの平均をグラフにしたものです。


1970年代後半から指定数が急激な伸びを示しているのがわかるでしょうか。制度開始当初は4冊/月ほどで推移していたものが、10冊/月の水準に激増しています。



一体この時期に何が・・・?



結論から先に言ってしまうと、これは雑誌自販機の普及によるものではないかと推測しています。今は都内でもほとんど駆逐された雑誌自販機は75年頃から普及し、後述の三流劇画ブームを支えたと言います。また実際に指定された書籍を見ても、自販機で売られるような売り切りのような雑誌が多いのです・・。


それまで大人の目をかいくぐって購入していた書籍を簡単に・・。当時の若者の潜在的な需要を呼び起こし、保護者達は危機感を募らせたのかも知れません。


ちなみに、東京都青少年健全育成審議会では、令和の現在でも毎月都内地域ごとの雑誌自販機の設置数の推移が報告されています(ほぼ数字は動かないのですが。)当時は、青少年保護の大切なバロメーターとされていたのかも知れません。


■成人向け劇画誌ブームと摘発(1970年代後半~)


70年代後半に世を席巻したのが、成人向け劇画、いわゆる三流劇画誌と言われる雑誌たちです。
自ら三流と称し、振り切ったことで、性的な表現や実験的な試みが過激化していきます。

前述の雑誌自販機の普及も後押しとなり、最盛期には毎月50〜60誌が発売されていたそうです。
それぞれの発行部数は少なくても、種類を増やせば利益が出る。また摘発に対するリスクヘッジの意味合いもあったとか。

また個性の強い編集者がテレビに出演し、挑発的な発言を繰り返したこともあり社会的影響を重く見たであろう警察が78年に三大劇画誌の一つと言われる「漫画エロジェニカ」を摘発。その後ブームは去っていきます。



この三流劇画ブームは、創作の実験的な場所が与えられたことで、その後多くの作家を世に送り出すことになりました。
規制史の観点で言うと、いわゆる「エロ雑誌」と呼ばれるジャンルをそれ以前と比較し、広く浸透してさせたことがその後に大きな影響を与えたのではないかと感じます。



■法規制議論ふたたび(1970年代後半)

70年代後半は、「青少年の非行」が社会問題化しました。

こちらのグラフをご覧いただきたいと思いますが、1975年以降、刑法犯で補導された少年の数がうなぎ上りになっているのが分かります。


図4-1 刑法犯少年のうち主要刑法犯で補導したものの人員、人口比の推移(昭和24~平成2年)平成3年 警察白書



政府はこういった非行の原因の一つが出版物であると位置づけ、国会では規制強化の議論が進められました。


80年には、PTA全国協議会が「有害図書販売規制立法を求める請願」を200万筆以上の署名とともに提出。
81年には、政府内で「青少年基本法の制定」を検討していくことを決めました。

立法の是非は国の青少年問題審議会に対して諮問されましたが、答申ではメディアに対して青少年保護の配慮を促すことが求められ、法整備については見送られる結果となりました。

ウィキペディアによれば、1970年代はいわゆるヤンキー文化の始まりの世代で、当時はツッパリ、スケ番と言われていました。
非行少年の原因=マンガの図式もクローズアップされ、それまで以上に批判を受けるようになったのではないでしょうか。



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社会問題→原因(と思しきもの)を規制、という流れは今でも数多く見られますが、マンガ規制議論もその繰り返しであることが見て取れます。


事件と影響の因果関係は規制問題の内包する重要なテーマの一つであり極めて詳細な検証が必要ですが、昭和の時代を振り返ってみてもメディアが発展するにつれ、社会がよりエモーショナルな判断を下すようになってきたと感じます。


明日はその代表的な事例として今も記憶に残る80年代後半のおたくバッシングと規制強化についてお伝えします。


続く。