こんばんは。都議の栗下です。

 



昨日は1964年に成立した東京都青少年健全育成条例の影響についてお伝えしました。

今日は、70年代初頭の有害図書指定について触れたいと思います



■少年マンガ誌の隆盛(60年代後半)
この頃、各出版社が少年マンガ誌を続々と創刊しました。現在も続くマンガ界の基礎が形作られた時期といっても良いと思います。

週刊少年ジャンプは68年、マガジンは63年、サンデーも63年、チャンピオンは69年創刊です。当時はキングという少年誌もあり、5大少年誌と呼ばれていた時代でした。

今日は当時、規制議論を巻き起こした3人の作家さんの作品について触れます。


○ハレンチ学園(永井豪)

創刊は後発組だったジャンプが発行部数1位に躍り出た原動力となったのは永井豪先生の「ハレンチ学園」だと言われています。

社会現象になった(と言われている)「スカートめくり」は、ハレンチ学園によって広められたと認識している方もいますが、実際には丸善石油のCMが元ネタで、すでに流行っていたものを、この作品が流行らせたかのように誤解されているのだという指摘もあります。


それまでの少年誌ではあり得ないほどの性的な描写(少年誌でオールヌードを描いたのはこの作品が最初とも。)とタブーの無いストーリーが小中学生の絶大な支持を受け、当時ジャンプの人気投票は1000票中800票がハレンチ学園、残りがそれ以外という記録が残っているほどです。


それほど存在感があったことから、保護者から槍玉にあげられ、批判の声にさすがの永井先生も<ボロボロになった>と回想していますが、問題になったのは性的な表現よりも、教師の威厳を損なう、子どもたちが教師をバカにするような描写だとも言われています。


三重県、福岡県で有害図書指定の動きがありましたが、こちらは未遂に終わっています。

 

 





○アシュラ(秋山ジョージ)

 

 


先日逝去された秋山ジョージ先生の作品。1970年から週刊少年マガジンに連載され、人肉食描写などが問題となりました。

平安時代末期のお話なのですが、第一話は飢饉に苦しむ母親が息子を焼いて食べようとするシーンから始まります。

第一話が直ちに神奈川県で有害図書指定、その後岡山、愛媛、愛知でも指定され、当該のマガジンは雑誌ごと未成年に売ることが禁止されました。


当時の読売新聞によれば、<残忍、不道徳な上に犯罪性がある>というのが、指定の一因だったようですが、平安時代の話に現代の「犯罪性」を押し当てるのはナンセンスな話だと感じます。


またその描写がストーリー全体で何を伝えようとしているのかという点も大切ですが、第一話で有害指定されてしまったことに作者の秋山ジョージ先生も不服だったと言います。実際にアシュラはこの事件があったせいで駆け足で終わってしまいます。


しかし、後々には少年ジャンプで完結編を掲載。2012年にCGを使ってアニメ化もされています。

Kindleでも読めるようになっていますので、ぜひご覧いただければと思います。



○やけっぱちのマリア(手塚治虫)

マンガの神様と言われる手塚治虫先生も、この年代には、「やけっぱちのマリア」や「アポロの歌」の2作品で有害図書指定を受けています。


「やけっぱちのマリア」はダッチワイフに命が宿った女の子と暮らす主人公が、ストーリーの中で周囲の大人から性教育を受けるという内容になっています。

問題視されたのは女性器の構造を解説するシーン、子どもが生まれるシーンです。私も読みましたが、医学博士でもあった手塚先生。医学書的な描写でいわゆる「エロ」とは違うような気が。


本件ですごいのは、有害指定が検討された際に、手塚先生は新聞紙面やテレビに出て堂々と反論したという点です


当時の朝日新聞には<性教育をやるなら、中途半端半ぱはいけない。ハッタリは困るが、やる以上は根本的にラジカルに性を教えるべきだ。中途半ぱな性教育が多いので、私は視覚的に思い切ったものをやろうと思った>というコメントを残しています。

 

マンガの神様手塚治虫といえども、当時は人気作に恵まれず「終わった」と言われていた冬の時代。にもかかわらず、自分の信念を捨てない姿勢には脱帽という他ありません。


 

 

 


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70年代初頭、批判や「有害図書」指定は、ジャンプや手塚治虫先生も例外ではなかったことがよくわかりました。

東京都の「不健全図書」は基本的にこの時代も成年向けの雑誌・書籍しかないのですが、地方の「有害図書」は少年・少女コミックでも指定していたところが結構ありました。どこから火の手があがるかわからないというのは脅威ですね


明日は、70年代後半から80年代の規制の動きについてお伝えします


続く。