こんばんは。都議の栗下です。

 


昨日は終戦直後の赤本ブームからの規制運動の高まりについて振り返りました。


今日は1960年代に青少年条例制定のムーブメントが東京都に伝わってくるところまでお伝えします。


■法規制の議論(1954~55)

出版業界と漫画家が「悪いマンガをなくす会」を作るなど、民間でも自粛によっていわゆる“悪書“を無くしていこうという機運が高まりましたが、政府の中で法整備を進める動きもありました。

総理府の付属機関である「中央青少年問題協議会」(中青協)は54年、「青少年に有害な出版物映画対策専門委員会」という有識者会議を立ち上げます。
そして55年7月には「青少年に有害な出版物、映画対策について」という答申をまとめます。

 


この中で法律によって規制をかける特別立法についても議論されましたが、答申では「業者と自粛と国民の自覚に期待することとして」「さしあたり必要のないものと認める」とされ、「今後の成り行きを厳重に注意する」との内容に留まりました。


■地方条例への波及(1955~)

政府による特別立法には歯止めがかかったものの、中青協は55年10月に「青少年に有害な出版物、映画等の排除に関する条例についての参考意見」をまとめ、都道府県に送ります。中身は、興行、図書、玩具、広告物について「性的感情を刺激する」「残虐性を有する」「射幸心をそそる」ものを都道府県知事が規制するなど、その後各地で続々と成立していく「青少年条例」のひな型とも言えるものでした。

55年以前にも、50年に岡山県で「図書による青少年保護育成に関する条例」が作られてから、神奈川、和歌山、香川県と青少年保護の条例が作られていましたが、いずれも法律に抵触しないよう配慮したこともあり、実効性が高いものではありませんでした。

前述の中青協の参考意見というひな型が作られたことによってその後、各地域で次々と条例が成立していくことになります。



■東京都での条例化議論の始まり(1963~)

55年に中青協の参考意見が出されてから8年後の1963年には20道府県以上で青少年条例が成立していました。
そしてこの年、ついに東京都で条例化の議論が交わされることになります。

きっかけは東京都・台東区中学校PTA連合会から出された都議会請願。
「性的」「犯罪的社会悪を助長するような」「宣伝や看板」に対して行政による措置が必要だという趣旨のものでした。
また、当時の東龍太郎知事や警視総監に対して、東京都母の会連合会からの陳情もありました。

 


当時の記録の中には、あまりにもこれらの動きのタイミングが合致しているために、警察を始めとする行政側が意図的にこれらのムーブメントを作り出したのはないかと指摘するものもあります。

これらの請願や陳情、世論の動きを背に、63年12月、東知事は条例制定の可否を協議会に諮問することになりました。

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法整備検討→各地域の条例制定の動きがついに東京都まで波及することとなりました。

 

明日は、この後始まる条例制定を巡る都議会でのバトルについてお伝えしたいと思います。

続く。