こんばんは。都議の栗下です。
東京都政における表現の自由問題で避けては通れない「青少年健全
運用の見直しは2年に一回の出来事。この機会を十分に活かすた
■赤本ブームとマンガ批判の高まり (1950〜)
終戦直後の1948年〜1950年は赤本文化の絶頂期と言われて
徳尾書店@tokuno_oshoten
第34回 銀座 古書の市 会場にご用意する商品より。 平和の名剣士(西田静二) 燃える幽霊塔(速水義一=早見利一) 続魔法城の秘密(速水) 渡辺三千太郎色紙 #銀座古書の市 #ginzakosho #松屋銀座 #貸本 #赤本漫画 https://t.co/6TDf9fg9Hj
2018年01月10日 00:40
47年に手塚治虫の新宝島が発売され、40〜80万部を売り出し
湯浅政明@masaakiyuasa
手塚治虫:「新宝島」と「ジャングル大帝」が「サライ」の付録に https://t.co/34j70i1AkF mantanwebより
2016年02月10日 09:32
しかし子ども達に大きな影響を与えるようになったことで、大人達
「こんなの読んで、小どもが真似したらどうするんだ!」
驚くべきことに、70年前も現在も漫画に対する表現規制の本質は
■悪書追放運動の本格化(1954〜)
赤本ブームで漫画が爆発的に普及したことによって、児童保護者の
54年には警察の関連団体である「母の会」が子ども達に有害な本
けいさんき@kei_cre_b
@ZoppyM87 「1955年2月27日投票 第27回衆議院選挙、1956年7月8日投票 第4回参議院選挙の選挙戦では、一部の女性らが小学校の校庭にマンガ本を積み上げ、手塚治虫らの漫画本に火をつけて燃やすパフォーマンスを展開した… https://t.co/SiXdv9Yw4R
2019年11月03日 17:38
当時、どんな本が“有害”とされていたのでしょうか。
現代と同じく「わいせつ」とされるものもありますが、それに加え
ちなみに、当時はマンガのジャンルも今程多彩ではなく、多くは冒
■悪いマンガをなくす会(1955〜)
高まる批判にマンガ作家たちも動きました。55年4月、主要な少
作家と出版社が結束して批判とはっきり向かい合う構図
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自分のまだ生まれていない時代については、イマジネーションをかき
明日は、青少年条例の成り立ちについて書きたいと思います。
続く。