母が1年10ヶ月の闘病を終えました。
21日、息子を送ろうとしてバタバタしている最中、
姉から着信がありました。
弟も電話してくれたようですが気がつきませんでした。
「施設から電話があって、危なそうだから
家族の方、来てもらえますか?って電話あったの。私達、今向かってるから。
タクの事もあるし、みー(私のあだ名みたいなもの)は、無理しないで」
と、いう電話でした。
忙いで、タクの事業所に連絡して在宅勤務にしてもらい、ダンナに連絡して、施設へ。
片道2時間かかるので『間に合わない』と思いました。
車を走らせて、10分。
弟から着信。
私
「ダメだったの?」
弟
「うん。間に合わなかった。
朝飯も全部食べて、お薬飲ませようとしたら様子がおかしかったんだと。
昨日も、夕食全部食べて、オヤツも食べたと。
(ミキサー食ですが、この頃、あまり食べられない事もあったので)」
私
「そう。分かった。とりあえず施設に向かうね。
家に、お母さん、戻るようなら、家の方に向かうから連絡してね。」
泣きながら向かいました。
この施設、ショートステイをロング利用してました。
母は、この施設が大好きで、途中で入院もしましたが
「ショートステイに帰りたい」
が口癖でした。
もともと、元気な頃は、
『歳とっても、デイサービスもショートステイも行かない』
と、言っていたのに。
母は、「このショートステイにずっと居たい」
と、言い続けていました。
しかし、皮膚状態も悪く、軽く擦っても、皮膚が剥けて出血してしまう。なので、全身包帯でカバーして。骨密度も30%台。
大量服薬で内臓も機能が低下してました。
とても慎重に介護や看護していただいても、通院がどんどん増えて、移動や移乗が辛い母には、
通院が本人にも、家族にも負担になってました。
その為、病院の系列の特養に11月から入所する事になってました。
入院に向けての健康診断を、
亡くなる3日前に、姉、弟、私で付き添って、
母の、好物の、プリンと、綿飴を食べさせたり、
たくさん話しかけて過ごしました。
私は、ずっと、母の頭や額や、腕を撫でました。
呼吸が浅く、苦しそうなので、
人のいない廊下に連れて行き、マスクをずらして呼吸させました。
最後は、
弟と、姉と、介護タクシーを見送りました。
それが3日前。
大好きなショートステイで、
最後は、食べるのが大好きだった母は、全部食べて、
お空に登っていきました。
私達は、全力で、母と向き合い、時には全力怒ったり(これは、私だけ)、甘えたり(多分、これも私だけ)、美味しいものをいっしょに食べたり、
おしゃべりしたりしました。
腰が痛くて動けなくなってからは、ショートステイだったけど、
弟が、花見や、ドライブに何度も連れていきました。
通院介助は、私が多かったけど、思う存分付き添えて、いっしょの時間を過ごせました。
私達、子供に、後悔をさせないように、
全力で向き合える時間を作る為に、
1年10ヶ月、頑張ってくれたのだと思います。
そして、最後は自分へのご褒美で
ちゃんと食べて、
大好きなショートステイからお空に登って行ったのでしょう。
そして、ショートステイの職員さんと
自宅に帰ってきました。
私は、ショートステイへは間に合わないので
自宅で、母を待ってました。
職員さん達と、帰宅した母は
「お母さん!!」
と、呼んでも目を開けてくれませんでした。
眠っているみたいでした。
「お母さん!!」
何度も耳元で呼んでも起きてくれませんでした。
私は、諦めて
母の頭を撫でました。
