前回のブログの続き

亡くなった母を、施設の方が送り届けて
母の部屋に寝かせてくれました。
「ごめんね、ちょっと痛いけど、お布団に移しますね。」
「お家につきましたよ。良かったですね。」
と、母に声かけしてくださりながら寝かせくださる姿に、
母が、
『ずっとここに居たい』
と言い続けていた意味がよく分かりました。
いつも、いつも、
施設に、
通院や、外出のお迎えに行くと
母に優しく、面白く接してくださっていたのを思い出しました。

母は、最後の最後まで幸せで、
私達は、『家族が介護できない』という、罪悪感さえ消し去ってくれる施設でした。

だから、私達は、寂しいくてたまらないけど、
それと同じくらい幸せです。

施設の方は帰られました。




母が亡くなる前の元気な頃に、
『葬儀はやらない。
お墓はいらない。
樹木葬とかにして欲しい』
と言ってました。

これには、色々、母なりの考えがあったのだと思います。
『少しでも、お金を残してあげたい』
『家族や周りの負担になりたくない』
と、常々言っていました。
母が、樹木葬の新聞広告をたくさん溜めていました。


そういう思いをそのまま叶えようと、私達は思ってました。

弟が、「知り合いが葬儀を頼んだところが、すごく良かったって言ってた」って事で、電話しました。
NPOが運営しているところでした。

お通夜も葬儀もしない。お坊さんを呼ばない。
(この件も、色々ありまして。)
火葬式にしたい。
と伝えました。

この代表の方が、とっても お人柄が良くて、
お陰様で、母とのお別れが悲しいだけじゃなくて、良い思い出になる事になりました。


まず、書類を書く時、
お墓の話しになり、父(母にとって、夫)がいないと話しました。もともと、母は父と籍を入れてなかったですし、出て行ってしまったし、
私としては、父は存在してますが、戸籍上の父は存在した事はありませんでした。

なんとなく、そんな話しもしながらプランを決めていきました。

葬儀はしないけど、お花が大好きな母に、お花をたくさん添えたい事。着物や化粧などキレイにしてあげたい事など、弟が話しはじめました。
私も、姉も賛成でした。

すると、
「じゃあ、送り人さんにキレイしてもらう?
私達も、お化粧とかしてあげられるけど、送り人さんは、すごいよ〜。」
と教えてくれました。

なので、送り人さんにキレイにしてもらって、お花をたくさん添える事にしました。

棺桶は、母の好きなピンク色にしました。

お団子やご飯、お線香やろうそく、
手早く用意してくださり、
私達、兄弟でお見送りする事にしました。

初日は、私が泊まりました。

弟も、何度も母の顔を見たり、お線香をあげたり、ゆっくり、母の話しをして過ごしました。

何だか、たっぷり母と過ごせて。
何度も母の髪を撫でたり、話しかけたりして
隣で寝て、目が覚めると、また、母の髪を撫でて。

そうやって過ごしました。



次の日は、私は一度帰りました。

そして、姉が泊まり、弟と同じように過ごしました。

途中で、弟の友達とか、お線香をあげに来てくれた方もいました。

大きなお花もいただいて枕元が華やかになってました。


一度、自宅に帰った私と入れ替えに、
ダンナと息子も、母に会いに行きました。

私は、一緒だと泣いてしまいそうなので、入れ替えにしました。

母である私が泣き出したら、
息子が、『死』に対して、悲しい気持ちを持ちすぎてしまう気がしました。

ダンナと息子は、送り人さんがキレイにした後に行ったので、
「本当に眠ってるみたいだったよ。キレイに幸せそうに寝てたよ。」
と、言ってました。

「おばあちゃん、大好きな施設で天国に行けて良かったね。最後まで優しいおばあちゃんだったね。」
と、穏やかに言ってました。



そして、最後の日が来ました。


私は、朝早く行きました。
ダンナと息子には来てもらわず、私達子供だけで送る事にしました。


お別れの時。
母にお花をたくさん添えました。
お花を添えている時、
葬儀屋さんのユニークな言葉が。

「あなた達、お父さんは一緒なの?」

私達は、一瞬
???

そして、
「いっしょです〜」
と、私達。

すると、葬儀屋さん
「そうなんだ。ほら、籍も入ってなかったって言うから。お父さん違うのかと思った。
お母さん、ナウイよね〜。
今じゃ、珍しくないかも知れないけど、
当時は、未婚の母って珍しかったでしょ?」

私達は、
「ああ、そう言えばそうですよね〜。」
と、思わず笑ってしまいました。


これって、人によったら失礼なのかも知れないけど、
この葬儀屋さんは、
本当に関心して言ってるんです。
だから、面白くて、兄弟で笑ってしまいました。



そして、
この葬儀屋さんの言葉が、
私の中で、
『可哀想なお母さん』
から、
『自由に生きたお母さん』
に変換されたんです。



以前ブログに書きましたが、
母は、本当に貧しい中、父の暴言暴力の中の子育てをしていて、
母が可哀想で苦しくてたまらなかったんだけど、

母は、父を好きだったという事実はあったんです。

私は、母が、父の写真を持っていた事も知っていたんです。

それをすっかり忘れてました。

母が可哀想という気持ちが大きすぎて、
そういう事実は見えなくなっていました。


母は、自由に、父を選んだんです。

私達、子供を育てている時、母との楽しい思い出も、たくさん、たくさんありました。


そうだ。
母も、よく笑ってました。
楽しそうにしていたんです。

確かに楽しかった。


葬儀屋さんのおかげで、
母の姿が、まだ目の前にある時に、
そういう事に気がつきました。

その後、ちょっとアクシデントもあったりで、
笑ったりして、
楽しい時間さえあるお別れでした。


お母さんが、笑わせてくれたのかな。


ゆっくり、楽しくお別れしました。


お母さん、ありがとう。


お母さん、大好き。