久しぶりのブログです。


母が難病を発症して1年半が過ぎました。

それまでは炊事洗濯をして次男と同居していた母。


強いお薬の服薬も続き、

在宅で、ヘルパーさん、訪問看護師さん、デイサービスの利用で過ごし始めたのですが

動けなくなり、車椅子を利用することになり。

ショートステイに一時的に入りました。


けど、それもロングになり...。


入所施設ではないので

通院は家族がしなくてはなりません。

月に1〜2回は私が通院介助に片道2時間の施設に迎えに行き、病院で受診させて、施設に送る事が続きました。(私は県外で生活してるので遠いんです。)


何とか、この通院の日を

母の好物のアイスなど美味しいものを食べさせて楽しい時間を過ごそうと思ってました。


病院嫌いの母を楽しませながら

1日がかりの通院は大変でしたが喜んで欲しかったんです。


そんな中、とうとう、認知症も発症。

幻覚もあり暴言もあったりして

どんなに楽しませてあげたくても、母はすぐに怒り出すので、罵倒されながらの通院介助。

気持ち的に苦しかったです。


けど、近所に住む姉や、同居していた弟に通院介助はできなくて。(車椅子からの移乗も痛みや恐怖から激しく抵抗するので介護に慣れてない人には難しいです。)


認知症を発症したので精神科にも受診する事になりました。(皮膚科、内科、整形外科、歯科にプラスしてショボーン)


その受診の時、母の生い立ちの質問がありました。

この受診の時は、まだ会話も成立してて

幻覚も頻繁ではありませんでした。


子供の頃の話し。

勉強も運動も得意ではなかったとか、

親が農家で畑仕事していて、蚕もたくさんいた事。

豚もいた事。兄弟が5人いた事。

中学を卒業してから、洋裁などを学んだ事。

その後は働いた事。


先生が

「どんなお仕事だったんですか?」

と聞くと、


母は

「言いたくない。」

強い口調です。


東京で少し生活していた事も

「東京はどういう経緯で行かれたんですか?」

と聞かれても


母は

「言いたくない」

強い口調で言いました。


先生は、

「言いたくなかったら言わなくて大丈夫ですよ。

嫌なこと聞いてごめんなさいね。」

と、言いました。


お薬を処方して認知症の進み方を緩やかにするように服薬が始まりました。


しかし、どんどん酷くなり半月前に入院しました。


この1年半、目まぐるしく症状が色々出て

母は、普通の生活から遠ざかり

もうすぐ一緒にこの世界にはいられないんだなぁって感じています。


もう少し、ゆっくりゆっくり歳を重ねて

最後の時間を幸せに過ごさせたかった。






精神科での母の生い立ちの話し。


これを聞いていて

お母さんの人生は幸せだったのかなぁ

って思いました。


私も、幼少期

「どうしてお母さんとお父さんは結婚したの?」

って聞いたら事があります。


その時の返事は

「うるせぇ‼️」

でした。


私は

『ああ、言いたくないんだなぁ』

と思いました。


正確に言えば

父と母は籍入れていません。

父は外国人です。

そして、日本語は話せますが読めません。

それもあり、賃金が安かったんでしょうね。

とても貧しかったです。


朝ご飯も、ミートボール1袋を家族6人で分けて食べてました。1人2粒です。

母は、「お腹いっぱい」と、嘘をついて食べませんでした。

私は幼心に分かってました。


いつだってそうだったから。



「お腹いっぱい」



そうやって嘘をつくんです。


そうですよね。


子供に食べさせたい。


そう思いますよね。


だから、私は給食のパンを

「お腹いっぱい」

って嘘をついて家に持って帰りました。

(昔は給食の残りを持って帰れました。)


それで、帰ってから

お母さんと分けて食べました。


お母さんに

「残ってた給食で、もらってきたんだよ。」

って、嘘をつきました。


母は安心して一緒に食べました。


母は、日本語の読めない父の仕事の手伝いに

昼間も、夜も手伝いに行きました。


けど、父が日本語が読めないから

母が手伝いに行くので、母のお給料はありませんでした。


そして、帰ってから

父はお酒を飲みます。


夜、10時30分頃から呑み始めます。


私は、だんだん怖くなります。


呑み始めて30分くらいすると

父は大声で怒鳴り始めるからです。


そして、手を上げる。


母の顔に手を上げると、たちまち目の上が腫れあがりました。


弟や姉も叩かれます。ケガをする事はなかったと記憶してますが

怖かったと思います。


父親は、私を叩きません。

だから、私が盾になって間に入るんです。


私も怖いんです。


でも、母は、父が暴れ始めると私を呼びました。


そうしないと暴れてしまうから。




貧しかったので、私達子供に

おもちゃも思ったように買えませんでした。





ボロボロの長屋に住んでいて、

風の強い日は、天井の隙間からネズミのフンがポロポロ落ちてきます。

すきま風も凄くて、

台所も寒くて、洗濯機は外にあって

母はいつもの服をたくさん重ね着して家事をしていました。

手はいつもあかぎれで血が滲んでました。




私は、どうして、父も母もたくさん働いてるのに

普通のお家に住めないのか、お金がなくて大変なのか分かりませんでした。


そんな生活が続き、

ある日

父が突然、自国に帰ることになって

(結婚してないから離婚とは言わないのかな。)

弟が高校生だったので不安だったと思います。


弟が高卒で働いて

母とずっと同居して

家を建てて、外食に連れて行ったり、旅行に連れて行ったり、楽しそうにしていました。


けど、難病を発症して

全身火傷のような皮膚状態にあっという間に悪化して救急車搬送されて、

痛くて苦しい治療が終わったら

こんな風に寝たきりになって。



母の人生って何だったのかな。


幸せだったのかな。


父の事好きだったかな。


父は、母の事好きでいてくれたのかな。


今、私はそんな事ばかり考えてしまいます。


認知症の中で、幻覚の中でも良いから

この先、あと少しだけの時間を

幸せでいてほしいなぁって思ったます。


どうか、どうか

幸せでいてほしいです。