今日はずっと机に張り付いてました。


デスクワークが終わらぬ。



一息入れたくて、


ふと、


ほぼ日手帳を開いてみる。





なんどもなんども思い出す思い出と、
ちょっとだけ思い出す思い出があるのだけれど、
夢の中に出てくるのは、
そのちょっとだけの方だったりするものだな。


One memory is remembered many times over.
One memory is remembered a little bit.
But I looked the latter memory in my dream.

英語訳、合ってるかな……。
合ってない気がする。
英語、絶賛チャレンジ中です。





なんか、すごくわかるなあと思いまして。



解釈違うかもですけど、
私がこれを読んで思ったのは、


自分が表面的に捉えた大事な思い出と

心の中で捉えた思い出は

違うものなのかもしれないなって。


そして

その少しの思い出に再会した時


心が震えたりする。



自分が


気にもとめてなかったことが

実は


すごく大事な事だったりする。のかもしれない。



私が


これから先どれくらい生きて

どれくらいの人や物と出会って


どんな人生を生きるかはわからないけれど、


もし


命が尽きる瞬間、


過去を思い出す時間を与えてもらえるとしたら、

それは


ほんの少しの

たわいのない思い出なのかもしれない。


もしかしたら

人生とはそんなものなのかもしれない。



とか。


いろいろ机の上で

考えていたりしたのです。



生きるということは


たわいのない思い出の積み重ねで。



人の記憶の器というのは限られているから、


砂時計のようにそれらを

ぽろぽろとこぼしながら

人は生きてきて、


こぼしたつもりが

どこかでずっと待っていた思い出に


最後は救われたり後悔したりするものかもしれない。




ちょっと拡大解釈しすぎですかね。
ま、いいか、自分の考えだから。あくまでも。



今これを書いたことも

いつか思い出すのかもしれないし。



照れ



うん。



とか



書いているうちに



ものすごい時間が経ってるガーンガーンガーンガーン



仕事に戻らねば。



また会おう、
思い出よ。