2013年5月に乳がんの手術(全摘、同時再建でエキスパンダーを入れた)をしました。

 

そこから、3か月と6か月と検診を経て、4年目から年1回の検診となりましたが、その時わきの下にリンパ液が溜まっているというので、4年半検診もすることになりました。実際は4年と9か月の時点で。

 

それが、2018年2月26日(月)そこから約1か月にあったいろいろのことの覚書です。★のところは自分が考えたこと★

 

2月26日(月)

採決、眼科、

POTENT(治験のフォローアップ)の診察。これは乳腺科の内科の診察。

POTENTは5年継続ですが、主治医が別の病院に移ってしまいこの日初めての女の先生でした。

超音波(エコー)検査でわきの下を見る検査。これが4年半検診のメイン。

同日の午後に主治医の診察。

午前に受けたエコー検査の結果、わきの下と、胸骨の横のリンパが腫れている、明日PET-CTをとることを告げられる。

いったん、診察室を出て、看護師(N本)さんからPET-CTの説明を受ける。

そしてもう一度診察室に入って、主治医の説明を聞く。

 

この時点で、自分では筋トレのせいでリンパ液が溜まっているだけ、と思っていた。

でも、主治医は再発をほぼ確信していて、脇だけでなく胸の中心部のほうの肋骨のわきにもリンパ液が溜まっている、他にも転移してないかPET-CTをしたほうがいい。

その結果他に転移がなければ、抗がん剤だけでなく、放射線治療という可能性もある。

ただし、この転移は、乳房内の局所再発ではないので完治は望めないことを告げられる。

 

★まだまだ、自分では単に筋トレのせい、と思っていたところからの落差が大きくて、中待合室で看護師さんにかなり時間をかけて愚痴をきいてもらった。

このせいで次からは、「がん看護相談」の専門看護師が診察室で立ち会うことになった。

PET-CTは3万円もするし、自分ではそこまでしなくてもって思ってた。他の検査を組み合わせることも可能だといわれたけど結局することに同意したのでした★

 

2月27日(火)

PET‐CT

15:30からの検査、食事制限あり。

運動も禁止。

のちに説明を聞いて、なぜ運動がいけないかというと、そこに糖が集まって光ってしまうので。例えば腹筋運動をしてもそこが光ってしまう。

造影剤を注射した後、動いてはいけない、本も読んではいけない。

薄暗い部屋でリクライニングの椅子でじっとして待つ。

検査は痛みもない。

でも、お財布には痛い。3万円はしなかったけど2万8千円かかった。

 

3月2日(金)

午後14:15主治医の診察、認定看護師のK間さんも一緒

PET-CTの結果、胸のリンパ、乳房、肺に転移の疑い

午後15:30から乳腺所属リンパ節穿刺の超音波検査(乳腺細胞診・胸骨1回目)

肺だけのCTを9日に受けることになった

 

診察後、急遽、針を刺してPET-CTで光ったところに細い針をさして溜まっている液体を抜き出す検査を受けることになった。

乳がんで通常行われる針生検は太い針だが、再建でシリコンが入っているので傷つける可能性があるので、使えない。マンモトーム生検も同様の理由でできない。

体の中心のほう肋骨間のリンパ節の検査。

針は細いので、痛みはそれほどなく、採血と同じぐらい。

しこりによっては、細胞が取れないこともあり、何度か細胞診を受けていただくこともあります、という紙を事前に渡される。

実際、その後何度も検査を受けることになる。


★針生検のとき、麻酔が切れた後の痛みが強かったので覚悟してたけど、それと比べると痛みは少ない。痛み止めも必要なかった★

 

 

3月9日(金)

午前10:40 胸部のCT(肺のCT)

11:00 主治医(外科)の診察

午後13:10~ 内科の診察。抗がん剤の説明を受ける

午後15:30から乳腺所属リンパ節穿刺の超音波検査(乳腺細胞診・胸骨2回目)

 

内科の先生と看護師のK間さん

肺に転移してるので、抗がん剤を2通り提案された

(1)新しい(2017年12月から)薬イブランスとおしりに注射(フェソロデックス)

(2)アリミデックスとリュープリン

 

提案のうち(1)のイブランスは、乳がん治療薬の、ごくごく新しいもので、CDK4/6(しーでぃーけーよんろく)をすることに。

無憎悪期間が今までの薬の平均より2倍長い(1年⇒2年)に延ばせる。

主な副作用は、免疫力の低下(自覚症状としては倦怠感)、脱毛は8%でおきるなどの説明。

 

渡されたパンフレット類がこちら↓

 

19日に乳房の細胞診もすることに。ただし、のちにキャンセルになる。

 

 ★乳房にもいくつか光る場所があった。

全摘して、エコーとかマンモとかしてきたはずなのに、どうして今まで見つからなかったのか?全摘でも放射線をしておけばよかったのか。後悔は尽きない。全摘してても乳房内の局所再発を自分で見つけられたらよかったのか、とか考えた。でも、後悔してもしょうがない、これも運命だ、

と自分でメモに書いてる。この時点ではもう、再発確定と思ってたし。

抗がん剤をする覚悟もしてた★

 

★抗がん剤は高額で、毎月高額療養費となるので、限度額認定証を用意した。★

 

★抗がん剤の説明を聞いて、あと2年ぐらいは仕事も続けられるぐらいの生活ができるのかな、という印象を受けた。

2年というのはあくまで平均だけど。

ただし、元気にとはいかないし、お金も毎月かかるし、通院も頻繁になる

でも、髪はすぐには抜けることはないかも、という期待がでてきた。★

 

★再発したら、仕事はやめるつもりだったのに、医師からも看護師からも、とにかく仕事は続けられるうちは続けるように強く勧められたので、とりあえずすぐにやめることはせず。イブランスなら髪も抜けず、たぶん2年ぐらいは、続けていけるのかな、と思った。

髪が抜けたらヨガとか難しいかなぁと思ってたので。

やっぱり髪の毛のことはかなり重要関心事だ★

 

 

3月15日(木)

9:30 乳房のエコーをしながらの穿刺(乳房の細胞診・1回目)

 

3月16日(金)

10時半、主治医の診察、患者支援センターの看護師さんも一緒のはずが間に合わず。

そのあと、乳腺科の内科の先生の診察も受けて、翌週月曜から抗がん剤スタートの予定だった。

ところが主治医の診察で、リンパ節からとったものの検査の結果悪性のものが出なかったことを告げられる。再度検査することに。同日12時半にエコーをしながらの乳房の穿刺(乳房の細胞診・2回目)

翌週からの抗がん剤スタートはなくなくなったので、内科の診察はいったんキャンセルになり23日に変更。

 

なぜ悪性のものが出ないのか?

考えられる理由は2つ

①転移ではない、炎症がおきているだけ

②転移してても、とれなかった

主治医は②のほうだろうと、再度の検査をすることに

また、抗がん剤をするなら、、私の仕事が休み中のほうがいいので、急いですることに

 

★乳房のエコーを見ながら針を刺す検査の2回目、主治医自らが針を刺して検査した。

でも、PET-CTの結果で乳房で光っているところのうちの一つは、乳頭再建のために埋め込んである軟骨なので、明らかに違う。

他の場所も画像を見ながら、技師さんがこれは水だ、とか言ってるのが聞こえる。

この日は病院の後、表参道でオフ会だったので、病院後向かう。

一応翌週からの抗がん剤がなくなったけどまだ、この日は抗がんをするつもりではいた。でも、2回目の検査でも多分悪性のものは出なさそうという感じもしてた★

 

3月19日(月) 検査&抗がん剤スタートの予定はキャンセルになった

 

3月23日(金)

11:00 主治医の診察

また悪性のものが出なかった。

追加で検査をするにも、胸骨、胸、肺どれもかなり大変になるので、カンファレンスにかける予定といわれる。

血液検査をすることに(閉経状態か確認、腫瘍マーカー)

看護師、内科の診察はキャンセルに。

 

なぜ悪性のものが出ないのか、可能性としては炎症だけかもしれないし、悪性度が低くて検査に引っかからないのかも、という説明でした。

主治医としては転移を確信している様子で、さらに肺の検査ができないか、呼吸器外科を受診するためにまた翌週通院することに。

 

 

3月26日(月)

10:30 主治医の診察

肺の検査をできるかどうか、呼吸器外科を受診するよう勧められた。

はじめ4月3日に、といわれたが、その日はもう仕事を始める前日だったので、3月28日になった。

血液検査の結果は、腫瘍マーカーは4種類どれも基準内。ただし初発の時も基準内でマーカーに出ないタイプなのであんまり参考にならない。

血液検査の結果、やっぱり閉経状態だったので、リュープリンはしないことに。

 

 

★ここで、ちょっと主治医と意識の食い違いがはっきりしてきた。

自分では、もうこれでいったん様子を見ることになるのかと思ってたのに、まだ肺の検査のために呼吸器外科を受診することになって、不満がかなりあった。

看護師のK間さんに、肺の検査をすると、体に負担がかかるし、そこまでして再発ではなかった場合、後々の生活に不都合が出るのでやりたくないことを伝えた。

40分ぐらい話を聞いてもらい、それを看護師さんが文章にして、主治医、そして呼吸器の先生にも伝わったので、時間がかかったけど話を聞いてもらって正解でした。

もう病院に行きたくない、治療を放棄する人の気持ちがわかる、ということも話した。★

 

3月28日(水)

15:00 呼吸器外科

はじめての呼吸器外科受診だったので事前に問診票に記入。

同じ病院でも科が違うと初診の手続きが必要である。

予約時間より早く呼ばれた。

おじいちゃんの先生だった。

肺のCTを見ながら説明を受ける。

肺に7個ぐらい影がある。

5年前に乳がんの手術を受ける前にとった肺のCTと一個ずつ見比べて、ほとんどは5年前からある影なので、転移ではない。

一つ新しいものが気管支の横、リンパ膜にPETでも光ったものがあるけど、それも小さすぎて取り出して検査は無理。

また転移とは限らないし、わざわざ検査をしても検査の精度が低いので転移とは確定は出来ない。

 

肺転移以外にも影ができる理由はいろいろ考えられて、

ばい菌、サルコイドーシス、リンパ腫など

炎症を起こして治った後、リンパ装置

15:20に呼吸器は終了。

このあと院内で主治医に会う。

 

別室で乳腺科の主治医の診察

ようやく、しばらく様子を見ることに決まった。

次回の検査は術後5年検診が8月の予定だったが、7月に前倒しですることに。

16:00終了

 

★この前の診察の時、

主治医は早く確定させたい患者さんもいるから、肺の検査も、といってたのを、私は全然早く確定させたいわけじゃないのに、なんで食い違いがでたのあな、と考えてみた。

抗がん剤をするなら春休み中、早目にのほうがいい、と考えてたのでそのせいかな。

でも、呼吸器外科の受信は肺の影はおそらく転移ではないと思えたので、結果的にはよかった。

それと、看護師のK間さん、主治医にも感謝を伝えた。★

 

★この病院にしたのは、がんの専門病院だし、いろいろな科があることも重要な要素でした。

最新の治療法を選べる、というのも考えにありました。

再発した場合は、治療がいろいろ考えられるし、セカンドオピニオンも考えないといけないはずで、今回はやけに抗がん剤を始めるのを急いだ感じがありました。再発しても治療を早く始めても予後には影響がないってさんざん聞かされてたのに。なんでそんなに急ぐのあかなぁって、2日前にちょっと不満をぶつけることになったけど、看護師さんに話をして正解だったし、希望を伝えたことで、経過観察になったのだと思う。

たぶん、主治医が急いでたのは私の春休みがもうすぐ終わることを考慮してだったのかな?と思い、そのあたりも、話せたので、最終的には満足です。

 

*†*:;;;:*†*:;;;:*†*:;;;:*†*:;;;:*†*:;;;:*†*:;;;:*†*:;;;:*†*:;;;:*†*:;;;:*†*:;;;:*†*:;;;:*†*:;;;:

 

1か月ちょっとの間に、ほとんど転移確定、抗がん剤の準備と進んで、結局確定せず次の検査を7月にすることに、という顛末でした。

 

初めはほぼ転移間違いなし、と思っていたので、身辺整理を始めました。

クレジットカードを解約し、会費のかかるもの劇団四季の会とか退会し、この10年着てなかったスーツを1着捨て、、もっといろいろ整理するつもりがそれほどは出来ませんでした。

抗がん剤をするつもりで、心の準備もしてたし、これからは今より元気な生活は送れない上に、治療費も毎月かかる。しかもずっと。通院も頻繁になることを考えて、だいぶブルーになりました。

毎日毎日、自分の死を考え続けてました。

自分のお葬式とか、子供に先立たれて残る親のこととか。

毎日、ジムに行くのは続けてて、運動で多少ストレスは減らせるけど、運動の途中も死を考えずにはいられない。

まだ抗がん剤をして体調が悪くなる前なのに、精神的なつらさだけでも相当なものでした。

そして、これがずっと続くのか、とも思いました。

瞑想とかマインドフルネスとか、呼吸に集中して、ストレスを減らすというのは、実際に巨大なストレスに直面すると、実施するのは難しいものです。なにもしないよりは、マイドンフルネスもしたほうがいいですが。

これから先抗がん剤が始まったら、精神面だけでなく肉体的にもかなりつらい日々になるのに、どうやって耐えていこうとか、心配し続けました。

ただ、考えを巡らせているうちに、だんだんこの状況に慣れてきて、やり過ごせるようにもなってきました。

乳がんの再発は10年以上治療を続けて、比較的元気に通院で治療をしている人もいて、中には30年以上という人もいる、と聞いて、もしかして親より先に死ぬことはないのかも、って思ったり、また、ももいちサポーターミーティングで再発して2年、3年という人に会った直後のことだったので、死は、すぐに訪れる、というより、少し先という気持ちで比較的冷静でいられたのではないかと(もちろん人それぞれケースバイケースなので、治療が何年続くかなんて、わからないことですが)

 

再発のことを、ブログに書くかどうかも、迷いました。

自分自身が、他の人の再発のニュースを知ると衝撃を受けてきたし、まだ確定する前に書くのもどうなんだろうと思い、目立たない形でブログを書きました。

それでも、何人かがメールやメッセージをくれて、

それはもう、とても、とても 心強く、ありがたかったです。

オフ会で実際に会って話を聞いてもらい、励まされたり、

おかげで、初発の時よりつらくありませんでした。

初発の時は周りに同じ病気の人がいませんでした。

今はその点、

本当にありがたいことです。孤独ではないです。

私は本当に恵まれてるなぁと思います。

 

まだ再発してないとも、言い切れないのです。

再発した、という根拠が見つからなかっただけで。

でも、しばらくは抗がん剤をせずに過ごせる、元気でいられることになったので、この期間をもっともっと大事にしたいと思ってます。

 

今まででも元気にいられることに感謝してるつもりだったけど、もっと元気になったらにしよう、あれをしようとか、ハワイに旅行しようとか先延ばしにしてきました。

来年は今年より元気になってるだろう、と考えてましたが、

実は今が一番元気なのかもしれない、今できることは今のうちにしよう、と考えるように気持ちを改めました。

 

そうはいっても、また日常に戻ってきて、先延ばしするほうへ考え方が戻りつつあります。

 

だから、この1か月の記録をこうしてブログに記録として残すことにしました。

たった数日で、もうせっかく元気でいられる今に感謝する気持ちがうすれてきててるから。

サバイバーとして生きていく以上、10年は経過を見ていかないといけなしい、常に再発の恐怖と付き合っていかないといけないのだけれど、再発したら、どうなるのか、だいぶ具体的に考える機会を得たので、あんまり先の心配(80歳になった時のこととか)せずに、もっと有意義にお金と時間を使うように自分への戒めとして、しるすことにしました。