男所帯で殺風景な屋敷の玄関に赤い蕾がついた一鉢が置かれている。

蕭佑は出迎えた家職に尋ねた。

「この鉢はどうした?」

家職の様子がいつもと違う。

「お帰りなさいませ!旦那様…先程から江庸様と仰るお嬢様がお待ちです…客間にお通ししておりますがその鉢はお客様がお持ち下さったものです」

驚いた…。

勝ち気な娘だとは思っていたが

まさか屋敷にまで乗り込んで来るとは。

蕭佑は悧発そうなその顔を思い浮かべた。

先日の見合いが不本意な形で終わったので抗議に来たのだろうか。まさかな…。

扉の外にはポツンと侍女が立っていて蕭佑を見るとかしこまって低頭した。

蕭佑が入ってゆくと江庸が微笑みながら立ち上がろうとした。

やはり殺風景な部屋が彼女が居るだけで彩りを得て見える。

蕭佑は慌てて手で制した。

「そのままそのまま」

彼は娘の訪問に戸惑いながらもどうした訳か浮き浮きと気持ちが華やいで来るのを覚えた。

江庸はにこやかに挨拶をした。

「伯父様、お言葉に甘えて勝手に待たせて頂きました」

どうやら家職が気を利かせたようだ。

「あの花はお嬢さんが?」

「小庸とお呼び下さい」

蕭佑はふいに嬉しさがこみ上げてきた。

「あの花は木槿花です。もうすぐ咲きます。先日のお礼にと持って参りました」

蕭佑は言葉がなかった。

礼を失したのはこちらなのに。

「小庸…先日は済まない事をした、君の母上にもお気の毒な事をしてしまった。倅が無作法な奴で申し訳ない…」

江庸は表情を変えなかった。

「今日差し出がましくもやって参りましたのは、その事ですわ伯父様」

彼女が言いたい事は倅の事に違いない。

「私、端無くも見てしまいました。英俊様と母の様子を…」

蕭佑は絶句した。

「これは私の憶測に過ぎませんが、英俊様は母の事を想っておられるのではありませんか?」

蕭佑はどう返答して良いものやら言いあぐねて喉がカラカラになり唾を飲み込んだ。

その様子を江庸はじっと見つめていた。

「やはり、推測通りなのですね」

彼女は興奮した様子もなくあくまでも透き通った瞳は嘘ごまかしを許さないと語っていた。

蕭佑はがくんと項垂れた。

「面目ない…」

「英俊様は来られた瞬間から母に魅せられておいでのようでした。片時も視線を外せないでいらっしゃいました。思い詰めたお顔をなさっておられたので既に英俊様の中では結論が出ているのではないかと思いお尋ねした次第です」

彼女はそこまで言うと手を口に当ててクスッと笑った。

「私の方は見ようともなさいませんでした」

蕭佑は恥じ入って顔を上げられなかった。

「す…すまぬ…申し訳ない」

問い詰められ非難されても抗弁のしようもない。

ところが

「伯父様、謝らないで下さいませ。英俊様に文句を言う為に来たのではありません…寧ろその逆なのです」

蕭佑は意外な言葉に顔を上げた。

「なんと?」

「私はまだ若く将来があります。けれど母は違います」

「…」

「ご存知でしょうか…母は今の私よりもずっと幼い時に家が傾き父に拾われ苦労して私を産み育ててくれました…私は父の顔も知りません」

蕭佑は頷いて耳を傾けた。

「父には感謝しています。皆から尊敬された立派な学者だと教わりました。ただ父に救われたとは言え実際母は愛も恋も知りません。私はあの美しい母が本当の恋も知らぬまま人生を閉じてしまうのが惜しいのです」

蕭佑はその言葉に顔を上げ江庸をじっと見詰めた。

「先日の見合いの日から母の様子が変わりました。母も明らかに英俊様を意識しています…あれ程に見つめられればいかに鈍感な母でも恋心に気付くでしょう…もし、もし英俊様が本当に母を想っていて下さるならば…」

蕭佑は手で遮ると最後まで語らせなかった。

「英俊はお母上を娶りたいと願っている」

江庸の顔はぱっと明るくなった。

「英俊様と母の事を認めて下さるんですね?」

今までこの娘に押されっ放しだった蕭佑は一旦頭を冷やさせなければと思った。

「う…まだそうとは言っておらん」

江庸はその瞬間蕭佑に近付き彼の両の手を取った。

その力は強かった。

「そんな意地悪を仰らないで下さい!」

蕭佑は握った彼女の綺麗な白い手を見て目をパチクリした。

自分の手に温かい血潮が流れ込んで来たかのような錯覚を覚えた。


「十一娘…!驚くべき話があるぞ」

帰宅した令宣の勢いに十一娘が目を丸くした。

「お前が前に首を突っ込んでいた…あれだ」

「あれっ…て?…順天府のお役人様の縁談ですか?」

「そうだ…その縁談だ」

令宣は妻に面白い話をしてやろうと意気込んだ。

「例の蕭英俊だが来月祝言を挙げるらしい」

「まあ、それはお目出度い事ですね…あら、でも先日教室で会ったけれどおくびにも出さなかったわ」

令宣は驚く妻を見たくて溜まらない。

「知る筈ないさ…実は蕭英俊の相手はその娘ではないのだ」

十一娘は首を傾げた。

「どなたですか?」

「そのお前の生徒だという娘の母だそうだ」

十一娘が絶句した。

流石の十一娘も丸い瞳が飛び出しそうになっている。

令宣は愉快で溜まらない。

「あの奥様が…」


【後日譚予定しています】