「ごめんなさいね。貴女に心配を掛けてはいけないと思っていたのに」

「そんな、先生水臭いです」

「いずれこの話は貴女に伝わるでしょ。人伝えに聞いたら貴女をびっくりさせると思って知らせたの」

十一娘がその日取るものも取り敢えず仙綾閣へと飛んで行ったので簡先生は恐縮していた。

「それにしても誰にも怪我が無くてホッとしました」

師匠は手を合わせる仕草をした。

「そうでしょ?天が護って下さったわ」

二人で微笑み合っていると職長がやって来た。

「先生…昨日の巡視の方…経歴がお出になってます」

「あらもう?…直ぐ此処にお通しして」

十一娘は立ち上がった。

「先生、先生のご無事を確認したのでホッとしました。ですので私はこれで…」

簡先生はすかさず彼女の手を取った。

「十一娘、帰らないで。貴女にも一緒に聞いて欲しいのよ」

実は十一娘も内心興味津々だ。

師匠に言われて頷くと素直に腰を下ろした。

応接間の戸口に立った蕭鎌は簡師匠を見ると軽く会釈をした。

十一娘は何故だか経歴が部屋に入る前から緊張しているような気がした。

立派な髭を蓄えて肩幅も広く逞しい男性なのに。

「蕭経歴様、どうぞお入り下さいませ」

経歴は十一娘に鋭く視線を向けた。

「こちらの方は?」

「経歴様、ご紹介します。こちらは仙綾閣の共同経営者の徐侯爵夫人です」

蕭経歴ははっとして居住まいを正した。

「徐将軍の奥方様でしたか。存じ上げず失礼しました。私は都察院の端くれでいわば徐将軍の配下に当たります」

十一娘は腰を低くした。

「お役目ご苦労様です。こちらこそこの度は仙綾閣が大変お世話になります」

そう云って師匠に目を向けた。

経歴は改めて簡師匠に向かうと話し出した。

「早速ですが報告しておきます。昨夜連行した賊が自白しました。江南から来た流れ者でして目的は盗みと…女だったようです」

簡先生は青ざめた。

「まあ…恐ろしい」

「仙綾閣に大勢女性が居るのを知って与し易し…と思ったんですな。脅す訳ではありませんが一歩間違えれば身の危険が差し迫っていたのです」

十一娘が尋ねた。

「経歴にお伺いします…何故賊は用水桶などに隠れていたんでしょうか?」

蕭は笑って答えた。

「侯爵夫人、もう秋とは言えこの暑さですよ?流れ者ですからね。暫く風呂にも入っておらず身体も臭かったんでしょう。賊と言えど汗を流しておきたかったんですよ」

簡先生も十一娘も思わず声をあげて笑ってしまった。

笑ったせいで緊張が解れて来た。

「ほほほ…そうだったんですね?」


その時、十一娘は気付いた。

簡先生の朗らかなその顔に蕭経歴がじっと見惚れているのだ。

元来簡先生は凛とした美しい人だ。

これまで何の浮き名も流さずに来たのは奇跡だ。

経歴が先生に見入ったとしても不思議ではない。


「…とは言え、この屋敷は物騒です。もっと警戒した方がいい」

「はい…実は男性の厨司が先日引退してしまいまして、住み込みの男手が居なくなってしまいました。大勢の繍女を預かっているのでどうしたものかと悩んでおります」

蕭経歴は頷いた。

「そうですね…このご時世だ。都には雑多な人間が流れ込んでいる。簡単に人を雇い入れる訳にもいかんでしょうな」

十一娘が提案した。

「簡先生、暫く夜だけでも萬大顕に泊まりに来させましょうか?」

「まあ、、、助かるわ。でもそれだと貴女に迷惑を掛けるわね…」

「先生、夜だけですもの。仙綾閣の為なら萬大顕も喜んで来ます。ええ!今夜からでも」

簡先生はほっとして笑みを浮かべた。

丁度老厨司が使っていた部屋が空いている。

「有り難いわ。早速お部屋の準備をしておくわね!」

その時急に横合いから渋い声が掛かった。

「ちょっと待って下さい…徐夫人…失礼ながらその萬大顕殿は…腕は確かなんですか?」

「ええ!腕は保証致します。夫が私に付けてくれた護衛なんです」

将軍が愛妻に付けた護衛となれば文句の付けようがない。

「それに独り身なので身軽なんです」

「・・・」

蕭経歴は苦虫を噛み潰したような顔でおし黙ってしまった。


その夜、夫の官服を脱がせながら十一娘は経緯を話した。

「旦那様、勝手な事をして申し訳ありません」

「ふむ、構わない…あんな事があった後だ。用心するに越した事はない…それで萬大顕は仙綾閣に泊まりに行かせたんだな?」

「はい…私は、、私には夜は旦那様がついているので安心ですもの」

十一娘は甘えるような瞳で夫を見上げた。

そして瞳を閉じると夫の胸にぎゅっと頬を押し当てた。

令宣は嬉しさを隠せなかった。