簡清露は幼い頃から物語の好きな夢見がちな少女だった。

お伽草子を読んだり坪庭にやって来る小鳥や季節の花を眺めて夢想するのが日課だった。


家は飯や酒を出す店を切り盛りしていた。

大勢の使用人を雇い朝から晩まで店は賑わっていた。

両親は揃って商いに精を出していたので清露は乳母の手で育てられた。

その孫乳母は手先の器用な人で清露は幼い頃から孫乳母から刺繍の手解きを受けていた。

清露は絵物語に描かれた鳥や花や森や山々を刺繍に映す事を覚えて自分なりに物語を拵えては一針一針こつこつと絹に表現していた。

孫乳母はそれを大袈裟に褒めた。

褒めたと云うより褒めちぎった。

「姑娘!お前様はなんと利口な上に器用なんだい?こんな綺麗な刺繍は見た事がないよ」

褒められて嬉しくない筈がない。

清露の刺繍に対する情熱は益々燃え上がった。

小遣いを貯めては古着屋で古衣を買い施されている刺繍の技法の研究にも没頭した。


家業の飲食店はそれなりに繁盛している時期もあれば競争相手が増えて客が減少したり浮き沈みが激しかった。


それ故、清露が年頃を迎えた頃両親は清露の嫁ぎ先について宮仕えのような固い仕事に就く男の嫁になるのが一番だと教えた。

父親は清露の為に大枚をはたいて媒妁人に清露の嫁ぎ先を探させた。

媒妁人は大同にある順天府の地方出張所に勤める下級官吏を勧めて来た。

父親は遠い所へやる事に躊躇したが都では希望通りの縁談は望めないと言われ、仕方なしに手を打つ事にした。


名前と生年月日、職業、そして嫁ぎ先の住所しか分からないのに清露は嫁ぐ事になってしまった。

父親は清露を宥めた。

「清露…相手の人は穏やかで実直な男だそうだ。これ以上を望むのは分不相応と云うものだ」

父は相手が小役人だと云うだけで満足していた。

商売をしていると浮き沈みが激しい。

そんな所へ嫁にやって苦労させるより薄給でも毎月決まった額のお手当を頂けるなら清露にとって幸せなのではないか。

「清露、お前には家で苦労をさせずにやって来たが、家の商いだってこれまで大変だったんだぞ…何度も潰れそうになって、それを母さんと二人努力して持ち堪えて来たんだ。お前も嫁ぎ先で多少の事があっても我慢して嫁として馴染むんだぞ」

「…はい」

清露は両親との別れに涙ぐみながらも頷いた。

「それからな…孫乳母は連れてゆけない…向こうにも雇い人が居るからだそうだ…大同までは一緒に付いて行ってくれるからその間に別れを惜しめ…」

とうとう清露は号泣してしまった。

孫乳母はその背を撫でて慰めた。

「姑娘、泣かないで下さい。これも神様の思し召しと思って大同からもっと西にある私の故郷へ帰ります。寂しくなったら訪ねて来て下さい」


両親が持たせてくれた嫁荷を積んだ馬車でごろごろと二晩かけて大同に辿り着いた。

此処が嫁ぎ先の住所だと御者が示した屋敷の前で二人は降ろされた。

屋敷は思っていたより小さいが来た以上帰る訳にも行かない。

先に孫乳母が挨拶すると言って門を叩いた。

使用人と思しき年増女がひょこっと顔を出した。

「随分早かったわね…」

「お初にお目に掛かります。簡家から参りました…」

「あ、これが嫁荷ですか?」

使用人はろくすっぽ口も聞かず、先に御者が降ろした嫁荷を門内へと運び入れた。

清露は目を丸くした。

私は無視されている。

孫乳母も驚いたらしく珍しく眉を逆立てていた。

一言言ってやろうかと思っていたら奥から声がした。

「着いたの?早いわね。お通しして」

此処の大奥様かも知れない。

玄関を通って入ると薄暗い客間があり正面に女主人がでんと座っていた。