或る日

蓮房は喬夫人と共に喬家所有の別院に居た。

部屋は衝立で半分に仕切られていた。

衝立の向こうに明浄が居る。

明浄を見張っているのは喬家の侍衛だ。

衝立の奥から喬夫人が尋ねた。

「それで確かなの?…」

衝立の反対側から明浄が答える。

「確かです…あの薬剤に間違いはありません」

「それで、徐家の遣いにその薬を渡したのね?」

「はい…渡しました」

「なら、いいわ。覚えておくのよ。お前が裏切ったらお前が妹の競争相手を毒で害して死なせた件…順天府に通報させるわ…証拠は握ってあるのよ」

明浄が罪に定められたなら大切な妹も一蓮托生だ。

「わ…分かっています…絶対に裏切る事はありません」

「そう…じゃあ表に出て金子を受け取りなさい」

「あ、ありがとうございます…」


明浄が転がるようにして出てゆくのを見計らって母娘は衝立の奥から出て来た。

喬夫人は蓮房に目配せした。

「ね!分かったでしょ?」

蓮房は目を輝かせて母親を見た。

「凄いわお母様、遣り手ね!心配してたけどこれなら私も安心出来るわ」

娘に褒められ喬夫人は嬉しそうだった。


元娘は大夫人の勧めで妊娠が判明した直後より何氏医館処方の安胎薬を飲み始めた。

悪阻が酷い為に食欲がなくやつれてゆく元娘に大夫人は食べやすい果物を取り寄せ何くれとなく気遣った。


「杜乳母、相変わらず元娘の体調が優れないけれど何先生の安胎薬は効いているのかね?」

「大丈夫ですとも、何先生は徐家三代に渡って仕えて腕は確かですから安心なさって…万全を期して太医にも診てもらいましたが何の問題もないと」

大夫人は溜息をついた。

「それなら仕方ないね…元娘が妊娠してからずっと虚弱だから心配になってくるわ」

そこへ訪ねて来た怡眞が勧めた。

「お義母様…此処でじっと心配していても仕方ありません。慈安寺にお詣りに行きませんか?」

「おお…!そうだね。そうしよう。元娘の安産祈願に行くとしよう。御守りも頂いて来なくては」


喬夫人は徐家の下女を大金で買収し元娘の様子を探らせていた。

「ふふふ…お母様、徐家からの知らせによると経過は良さそうね」

蓮房の目は暗い喜びに満ちて輝いていた。

「そらご覧!母の言った通りでしょう?あの薬は若い妊娠中の女にだけ効くのよ。乳母が毒見しても無害だから何も出てこないわ」

「本当によく考えたものね…」

「だから子どもは…無念な事になる筈よ」

「使えるわね!明浄って男は」

二人は腹の底から笑った。

元娘の腹の子がダメになれば…子どもを授からなければ正室の座は盤石とは言えなくなる。

そこにつけ込む隙がある。


ところが…

大夫人達の祈りの力が悪辣な思念を跳ね返したのか

元娘の体力と胎児の生命力が勝ったのか

八ヶ月を過ぎた頃元娘は小さな男児を出産した。


早産のこのか弱い赤ん坊は徐家の期待を一身に背負ってこの世に生まれた。

現場を離れられない令宣は東南から文を送って寄越し嫡男を諄と命名した。


ガッシャーン!!

陶器の割れる派手な音が蓮房の部屋に響いた。

蓮房は激怒して癇癪を起こしその辺りの物を払い落とした。

「蓮房や〜〜〜っ!?」

蓮房は母親に詰め寄った。

「お母様!どう言う事?」

喬夫人は慌てて大事な娘の手を取った。

「蓮房!お前怪我をしてないかい?」

蓮房は膨れて母親の手を振り解いた。

「そんな事聞いてない!どうしてあの女が男子を産むのよ!あり得ない!」

喬夫人はおろおろと蓮房の前を行き来した。

「これはきっと何かの間違いよ〜…」

蓮房は尚も母親に当たり散らかした。

「お母様!あの明浄って男大丈夫なの?裏切ってない?」

「…でも赤子は早産でかなり弱っているらしいわ…まだ分からないわよ蓮房…」


蓮房は拳を握りしめて虚空を睨んだ。

「そうだとしても…あの…元娘は生かしてはおけないわ」


蓮房は次なる企みをその胸の中に芽生えさせていた。