南跨院へ戻る道々、令宣は妻に謝った。
「元娘…済まなかった。再三、文を貰いながらお前の願いに応える事が出来ずに悪かったと思っている」
令宣は元娘が不機嫌である原因はすべて自分にあると思っていた。
謝って妻の機嫌が直るものなら謝れば良いと考えていた。
正室とは一生を共にする疎かには出来ない存在だ。
神棚に祀るほど大事なものだと言った先輩が居てその時はそんなものなのかといい加減に聞き流していたが今はまさにそんな心境だった。
南跨院に戻ると先程まで表情を失っていた元娘が突如微笑んだ。
令宣はその笑みをどう捉えてよいか分からず当惑した。
元娘はその笑みのまま問うた。
「旦那様、皇宮にご報告に行かれましたか?」
「無論だ…上奏しなければ勅命に叛いた事になる」
「陛下から何か褒賞を賜りました?」
「ああ…それをお前に話そうとしていた。今回武選清吏司郎中に封じられた」
「まあ…それはおめでとうございます!」
元娘は初めて目を輝かせた。
夫が血で血を洗う戦場でもぎ取った異例の出世だった。
令宣は元娘の喜びを見て感じた。
私は仕事から帰って労って貰えるような普通の夫ではないのだな。
一度は地に堕ちた徐家の名誉を回復して陛下から褒賞を拝受してこそ尊敬されやっと妻の笑顔が見られる。
・・そして胤を蒔いては子孫を遺す…
元娘にとってはたかだかそれだけの人間なのかも知れぬ…。
元娘の顔に笑みを見て一先ず安心したのはそこまでだった。
「あなた、文姨娘が諭の誕辰を祝うそうじゃありませんか…東跨院にお行きにならなくてよろしいの?」
令宣は彼女の皮肉に口ごもった。
「あ、ああ…また別の機会にする…今夜は此処で過ごす。あちらの事は気にするな…」
今回は妾が先に子を為した事で元娘の誇りを傷つけた。
元娘にとって私の価値は更に下がったのかも知れぬ…。
折角我が子が生まれても大っぴらに喜ぶ事も叶わぬ。
そう考えると令宣の心にどっと疲れがのしかかった。
「蓮房!良い知らせよ!」
「知ってるわ!令宣兄が凱旋されたのよね!」
蓮房は令宣が戦場に赴いて危険と隣り合わせに居る事がたまらなく不安だった。
何時生命を落とすかも知れないと考えると心に影が差して食欲がなくなるのだ。
やっと帰ってみえた!
蓮房の心は晴れやかだ。
「あら、そうなの?」
蓮房は母を横目で睨んだ。
「お母様ったら…これ以上に何が良い知らせなのよ」
「令宣殿は強運の持ち主よ。無事に帰ってきて当たり前よ。…それよりね…」
喬夫人は思わせ振りに含み笑いをした。
「やあだお母様、教えて」
「何氏医館の明浄の買収が成功したわ」
「本当?!」
「蓮房や、喜んで!明浄に金子を握らせた上に明浄の弱みを握ったからもうこちらの言いなりよ」
「流石、お母様ね…で、状況はどうなってるの?」
「羅元娘は今懐妊したくて必死だわ」
母上はなんて決まりきった事を云うのかしら…
「そりゃあそうでしょうよ…
でもお母様それをさせては絶対駄目よ。あの女の正室としての地位が揺るがぬものになってしまう!そうなったら取り返しがつかなくなるわ!」
喬夫人は落ち着けと言う風に娘の目の前で手をちらつかせた。
「安心おし…それを明浄に阻止させるわ」
蓮房の漆黒の瞳が暗く輝いた。
「薬ね?」
「確認させたけど絶対にばれない方法があるらしいわ」
「それを聞くと明浄はこれまでにも悪い事をして来たという事ね」
「ふふふ…それが明浄の弱みなのよ」