文姨娘は強運な女だ。

翌年には無事に男子を出産した。


元娘は産褥の文姨娘を見舞って赤子を抱き上げた。

「文姨娘、ご苦労様でした。大切な身体よ。お産の疲れが響かないようにゆっくりと養生なさい。徐州から滋養の煎じ薬が届いているの。後でもって越させるわ」

元娘の目に微かに灯る焦りを見て文姨娘は余裕の笑みを浮かべた。

「奥様、ありがとうございます。この子も奥様のこどもです。どうぞ健やかに育つようお力をお貸し下さい」


この妾は庶子を授かっただけでもう大きな顔をしている。

旦那様はあれからずっと西南の任務に赴いてもうかれこれ一年近くも帰って来ない。

休暇をとって下さいと督促の文を書かなければ…。

旦那様を急かして早く嫡男を授からないと益々妾が増長するわ。

元娘はじれじれと焦れていた。


「蓮房…令宣殿の子が生まれたそうよ」

喬夫人が聞きつけて来た。

蓮房はふんと鼻で笑った。

「お母様、焦らないで。高が庶子よ。それより例の件調べは進んでるの?」

喬夫人は笑って手下に探らせた情報を娘に伝えた。

「もう…蓮房こそ焦らないでよ。徐家のかかりつけは何氏医館と知れているわ。徐家は何氏医館の薬しか飲まないらしいわ。但し何先生は堅物だし徐家と長い付き合いだから幾ら積んでも買収は無理なのよ」

蓮房は眉間に皺を寄せた。

「なら一体どうするのよ!」

喬夫人はニヤリと笑うと声を潜めた。

「何先生は無理でもその直弟子に明浄という男が居るの…調べると明浄には嫁入り前の妹が居てその妹を嫁がせる為に大金が必要らしいわ」

蓮房はほくそ笑んだ。

「分かったわ…お母様、、その明浄を手懐けておいて…」

喬夫人は娘の手の甲を何度も軽く叩いた。

「この母に任せておきなさい。仕上げを御ろうじろよ」

「流石!お母様は頼りになるわ…」

蓮房の部屋には二人の笑い声が響いた。


元娘が何度文を送っても令宣の帰郷は遅かった。

あれから更に一年が過ぎやっと令宣は凱旋した。


「母上、ご心配をお掛けしました」

久し振りの無事な姿を見て大夫人は目尻に溜まった涙を拭うとひざまずく息子の手を取って起こした。

「お前は国の為に苦労してるのよ…母は何も言う事はないよ…こうして無事に帰って来てくれたんだもの…」

「母上が私の無事を祈って下さっていたお陰です」

「まあまあ…当然だよ…けどねえ…元娘は最近機嫌が良くない…無理もない。まだ新婚だと言うのに陛下もどうなんだろうねえ…お前を戦地にやって…」

自分より先に妾が妊み、これからと言う時に夫が出征だ…。元娘の気持ちも分かる。

「今から南跨院に行ってきます」

「うん、そうしておあげ…早くおゆき」

大夫人は息子を急かした。

令宣が福寿院を出ようとした矢先文姨娘が諭を抱いて現れた。

「旦那様!お帰りなさいませ」

「諭か!」

令宣は文姨娘から息子を受け取った。

やっとひとつになった諭はきょとんとしていた。

「あっはっは…もうこんなに大きくなってたんだな、諭。」

令宣は初子との対面を喜んだ。

「旦那様が戦地から命名して下さった良いお名前です」

文姨娘は相変わらず煌びやかな装いをして晴れやかな声で令宣を誘った。

「旦那様のお帰りをお待ちしていました。宜しければ今夜この子の誕辰祝いをしますので東跨院にいらして下さいますか?」

その答えは元娘の冷ややかな声に遮られた。

「旦那様…お帰りなさいませ…お疲れ様でした」

玄関口に立った元娘の顔は面のように表情が無かった。

令宣は諭を抱いたまま言葉に詰まった。

「あゝ…元娘、、暫くぶりだ。遅くなってすまない」

諭を文姨娘に返して令宣は改めて妻の手をとった。

「長い間留守を守ってくれてご苦労だった。そのお陰で私も勤めに精励する事が出来た」

元娘は無表情のまま頷いた。

大夫人が堪らず息子の加勢に出た。

「令宣や…久し振りだ。元娘と積もる話もあるだろう。今夜はもう元娘と南跨院に帰りなさい。元娘、明日は二人とも挨拶に来なくて良いからゆっくりしなさい」

「母上…そうします」

「お義母様、ありがとうございます…」


二人が出てゆくと大夫人ははあ〜っと溜息をついた。

文姨娘が気まずそうに立っているのを見ると顔を背けて手を振った。

「お前達も部屋にお帰り」

文姨娘は諭を抱いたまま腰を屈めると無言で下がっていった。