徐家をさる高名な一人の老人が訪れた。
召使いが盆に載せた名刺には流麗な書体でただ柳阮柏とあった。
大夫人は慌てて召使いに命じた。
「早くお通しして」
そして侍女には茶を用意するよう言い付けた。

白髪の老人は辺りを払うような威厳を見せて福寿院の客間に入って来た。
大夫人に対し柳阮柏はきっちりと手を合わせた。
「突然の訪問、無礼を何卒お許し願いたい」
「何を仰いますやら…もう令宣も戻って参ります。お待たせ致しますがどうかご容赦を…」
「いやいや突然に申し訳ない…」
柳公は徐ろに腰を降ろした。
大夫人は内心で何事かと怯え緊張していた。
柳阮柏公と言えば前代まで二代の皇帝陛下に仕えた内閣の重臣である。
老いを理由に朝廷から身を引いたとは言え朱子学の大家であり依然論客として慕う閣僚や学士も多いと聞く。
普段交流のない柳公がこうして突然来訪するとは只事ではない。
「柳公、お待たせ致しました」
官服のままの令宣が客間へ入って来て頭を下げた。
「おお、久しいのう…」
「ご無沙汰しております」
令宣も緊張していた。
「今日突然に押し掛けたのは他でもない…聞き及びか?」
「何事でしょうか?」
「ふむ…貴殿の耳には届いておらぬと見えるな…」
柳公は覚悟せよと云うような鋭い視線を令宣に浴びせかけた。
「太子立公妃の話だ」
「太子妃の…」
「内閣で貴殿の長女を推挙しようとする動きがある」
令宣はしばし無言となった。
大夫人の顔は急激に蒼ざめた。
令宣は俯向いていた顔を上げた。
「しかし…娘の母は、庶出です」
「現帝の二人の后も庶出だ。しかも卑しい商家の出のな…」
母が庶出だから相応しくないと云う苦し紛れの言い訳は通じなかった。
令宣達が恐れているのは入内そのものだった。
令宣にしろ高官達にしろ今の宮中に娘をやりたい者など有りはしない。
娘を後宮に送るのは棺に手をかけさせるも同然だ。
大夫人は手が冷えて震えてくるのを止められなかった。
阮柏は落ち着けと云うように令宣を見た。
その眼差しは息子を見るような慈愛に満ちたものだった。
「令宣、気持ちは分かる…だがそのような理由では断れぬ。現后でさえ庶出なのだ。それに引き替え庶子と言えど夫人の出身は江南の名門羅家だ。しかも夫人は既に一品誥命夫人に叙階されている。恐らく閣臣から反対の声は上がらぬだろう」
八方塞がりだ…。
「柳様…どうすれば…」
流石の戦場の強者令宣も頭を抱えた。
「お義母様…」
そこへ十一娘が茶を運んで来た。
「あゝ…柳様に差し上げておくれ。柳様、これがうちの嫁、令宣の妻徐羅十一娘でございます」
十一娘が丁寧に頭を下げた。
噂に違わず毅然とした才女のようだと柳は感じた。
柳公は目を細めた。
「おお、奥方。お噂は聞いております。災民の為に力を尽くされておるとか」
「滅相もございません」
「今の話が耳に入りましたかな?」
「はい、聞かせて頂きました」
「奥方はどうお考えかな?」
十一娘は逆に質問したかった。
柳公が此処に来た理由が知りたい。
第三者として傍観する積りなら来ないだろう。
単なるお節介をなさるような方ではない…。
「………、柳様はいかがお考えでらっしゃいますか?」