指先に花が咲いたかと思うとそれはぷっくりとした唇に運ばれて引かれた。
紅は特別な輝きの色味が複雑に組み合わされ見る角度によって虹色に光を放ち甘く匂うようだった。
「うわあ…奥様綺麗!」
明々が感嘆の声を上げた。
「ホント!睡蓮の女神みたいですよ〜!」
日頃素顔で化粧にとんと興味の無い桔梗までが賛辞を惜しまない。
明々がちろりと桔梗を見た。
「桔梗、あんた意外と詩人じゃん…」
「失礼なー!あたしだって詩文位分かるっつうのよ」
「あんたがいつも読んでるのは剣豪草子ばっかじゃん」
十一娘が笑ったので二人は言い合いを収めた。
「失礼しました奥様!」
「ほんと綺麗な紅ですよね〜。奥様は色白だから特に映えますわ。どこの美粧店でお求めになったんですか?」
美容には殊に興味がある明々が目をキラキラさせて尋ねた。
「これは紅花や秘伝の花で作った貴重な紅らしいの…私にはこんな高価な紅は買えないわ」
二人の侍女は常々疑問を抱いていた。
奥様の為ならどれだけ銭を使おうと惜しまない旦那様がついているのに奥様はお金の使い途には厳格で倹約に努めているからだ。
「では、この紅は?」
「丹陽がくれたのよ。何でも後宮にいる親類の妃嬪から頂いた品らしいの」
「県主は太っ腹ですね〜…そうか後宮の品なのですね」
明々が疑問に思った事を口にした。
「でも奥様ならいくらでも高価な化粧品を買えます」
十一娘は笑って紅の蓋をカチャリと閉じた。
「結婚前は貧乏だったからその癖が治らないのね。糸や針だって一匁一本と数えて暮らしていたものよ」
桔梗も明々もそれは奥様の謙遜だと思った。
羅家と言えば江南の名門中の名門。
庶女とは云えその羅家の娘である奥様が庶民と同じく金銭の苦労をなさって来た方だとは俄に信じ難かった。
その考えが二人の顔に表れていたのだろう。
十一娘は重ねて言った。
「本当よ。余杭では庭に野菜を作って自給していたし、鶏を飼って卵を採ったり…足りない分は冬青と山に分け入って山菜採りもしたわ。それで沼に落ちた事もあるの。今じゃ懐かしい思い出よ」
涙脆い桔梗は声を詰まらせた。
「お、奥様がそんなご苦労なさっていたなんて…今の今まで知りませんでした」
明々もしゅんとなっていた。
「私達、奥様を誤解していました。ただお幸せな方だとばかり…」
「二人ともそんな顔をしないで。私は今凄く豊かだし幸せなんだから…それに旦那様は徐家の再興を勝ち取るまで大変なご苦労をなさって軍の食糧も自給して転戦して来られたの。日頃節約していればいざと云う時は旦那様のお役に立てると思っただけよ」
令宣の耳にそれは届いていた。
小賢しく入るを諮り出流を制すと云わず、私を思っての事だといってくれる十一娘が可愛く愛おしい。
「見上げた心掛けだ…流石私の妻だ」
「「旦那様!」」
令宣が入って来た。
「「お帰りなさいませ!」」
二人の侍女は心得たように下がって行った。
「旦那様お帰りなさいませ」
立ち上がった十一娘を令宣は肩を抱いて座らせた。
「お疲れ様でした」
「十一娘…節約も良いがもっと自分の為に金子を使え…。私への気遣いは無用だ。いつものお前も可愛いが、その紅を付けるとまた一段と引き立つぞ。」
十一娘は素直に頷いた。
「はい、仰る通りにします…ところで」
「うん?」
「旦那様は私が金子よりも宝石よりも頂いて嬉しいものをご存知ですか?」
その目は悪戯っぽく光っていた。
「なんだ?言ってご覧」
「これです」
十一娘は令宣の首に両の腕を廻すと夫の唇に自らの紅を合わせた。