もう薄れつつある刀傷がひとつ左の上腕部にある。

それを見ると令宣は思い出す。

妻・十一娘との出会いを。

彼女とは計らずも海賊江槐と弟分劉勇を追跡していた現場で出会った。


江槐は一旦捕縛し軍営に留置していたところを何者かの手引きによって脱獄した。

令宣達にとって手痛い一撃だった。

その企みの背後に居るのは大凡の見当が着いていた。

だが黒幕の追及よりも江槐の再逮捕が先決だった。

令宣の部下達は福建の海賊達の根城となっている雲来客棧に網を仕掛けて待ち受けていた。

そこに江槐と劉勇が現れた。

副将臨波の密かな合図で部下達は身構えた。

その時運悪く十一娘母娘達が休憩する為にその客棧を訪れたのだ。

一触即発の捕縛を察知した江槐は咄嗟に十一娘を人質にとり客棧を脱出して逃走を図った。 

江槐は川向うに繋いだ馬で逃走しようと十一娘を羽交い締めにしたまま太鼓橋を渡ろうとした。

令宣が矢を放って繋がれた馬の綱を絶ち切る。

令宣は更に部下を橋の反対側に配置。

逃げ場を失った江槐は太鼓橋の頂上で立ち往生する。

令宣はその時人質となった娘の手の動きを見逃さなかった。

彼女は針のような物で江槐の腕を突いた。

悲鳴を上げた江槐はその瞬間十一娘から腕を離した。令宣はその一瞬を見逃さず果敢に矢を放った。

矢は十一娘の耳元を掠め江槐の右肩に命中した。


令宣は驚嘆していた。

思えば豪胆な娘であった。

針で突いたその一瞬が命運を決した。

後にその娘が妻・羅元娘の腹違いの妹だと知った時には驚かされたものだ。

臨波も彼女が私の義妹と知り大いに驚いていた。

令宣は水中で彼女を助けた時に劉勇に斬り付けられて負傷していた。

傷の手当をしながら臨波が零した。

彼女を助ける為に傷を負ったのは令宣なのに矢を放った事で恨まれている、損な役回りだと言われた。


ただ後々捕り逃がした弟分劉勇を捕縛する過程で十一娘の母が命を落とすことになった事を私は心から悔いている。


人生には夢にも思わない事が起きる。

だが夢ではない。

その時の豪胆な娘が私の元へ嫁いで来た。

義妹は私の妻となった。


着替えを手伝っていた妻が顔を覗き込んだ。

「旦那様、何を考えておいでですか?」

知らず知らず私は微笑んでいたようだ。

「お前と出会った時の事を思い出していた」

十一娘は剝き出しになった二の腕のその傷跡を愛おしそうに撫でた。

「この傷ですね…私を海賊から救った時に負われた傷です」

「お前に話した覚えはないぞ」

「臨波殿に聞いたのです」

「臨波め、余計な事を…。それよりお前は江槐を針で突いただろう。よくあんな大胆な真似が出来たものだ」

十一娘は笑った。

「旦那様、私も必死だったんですよ」

「もうあのような危険は犯すな。私の寿命が縮まる」

「はい、旦那様がいらっしゃいますから私があんな目に遭う事は二度とありません」

十一娘はまだ着替えの終わっていない私の胸に甘えてもたれ掛かった。

「奥様〜」

「あわわわ…」

入って来た侍女二人が踵を返して部屋を出て行くのはいつもの事だ。