十一娘の元に再び佳怡から文が届いたのは二日前であった。

明日仙綾閣へ伺います、とあった。

刺繍を習うのも然ることながら、彼女には別の話もあるのだろうと十一娘は思った。


仙綾閣の教室でやはり一番後ろの刺繍台に着席した佳怡を十一娘はにっこりと迎えた。

授業が終わって再び仕事場へ戻る繍女達を見送る十一娘に佳怡が声を掛けた。

「徐羅先生、少しお時間を頂けますか?」

十一娘は照れて笑った。

「先生はやめて…二人の時は十一娘と呼んで下さい。今日お越しになると伺ってお会いするのを楽しみにしていました」

佳怡は嬉しそうに微笑んだ。

「じゃあ妹妹と呼ぶわ」

佳怡の話は閨房に関わる事だと十一娘は踏んだ。

「我が家へどうぞ。そのほうが遠慮なく話せます」

佳怡と共に乗り込んだ徐家の馬車は萬大顕が合図してゴロゴロと進み出した。

近くで見る佳怡の口元に映える紅は以前よりも鮮やかで艷やかだった。


西跨院に入ると十一娘は桔梗と明々を下がらせた。

「妹妹、いつも気を遣わせてごめんなさい」

「いいのです…佳怡様こそ遠慮なく。お土産のお菓子は佳怡様の手作りですか?美味しそう」

小振りの重箱に可愛らしい菓子が詰まっていた。

「どうぞお召し上がり下さい…私は胸がいっぱいで。このお茶だけを頂きます」

十一娘は菓子を一口齧ると「う〜ん美味しい」と微笑んだあと本題に入った。

「どうぞ佳怡様の話をお聞かせください」

「ありがとう」佳怡も微笑みを返した。

「前回、夫が隆に嫉妬したお話をしました。それからも時々夫は私が隆を甘やかし過ぎると叱ります…でも愛情と甘やかしの違いは私にも分かります…」

十一娘にも似た経験があるので彼女の云う道理がよく理解出来た。

諄や諭と触れ合う時の気遣いは継母でないと分からない。

幸い二人とも素直な性格で私は助けられた…。

「先日隆が墨を擦ろうとして夫が大切にしていた水滴を割ってしまいました。夫は思わずカッとなったようですが私が庇ったのを見て憤然として部屋を出てゆきました…またしくじったかも知れないと心配しましたが」

十一娘は黙って頷いた。

「その夜帰って来た夫は、昼間の事を謝りました。私の執り成しのお陰で隆が卑屈な子にならずに済んだと…そうして養子を教育する苦労をお前にかけていると言って始めて私を優しく抱き締めてくれました」

「まあ…」

「それだけなんです…何か大きな進展があった訳ではありません」

「いいえ、私が口を挟むのは僭越ですが旦那様はとても優しくなられましたね」

佳怡は謙遜した。

「そうでしょうか?」

「そうですとも。そしてご主人様は佳怡様の優しさに助けられてらっしゃいます」

今は抱き締めるだけかも知れない。

根拠はないがそれがやがて口づけへ、触れ合いへと発展してゆくのだと予感した。

「隆ちゃんになさるように旦那様にもこれまで以上に優しく接して差し上げて下さい。釈迦に説法ですが」

「いいえ、有難い提言です。私は今まで夫の硬化した態度を見て自負心から身を遠ざける事ばかり考えて夫に冷たくしていました。でもそれは私自身の人生を諦める事だと分かりました。今回は天が授けてくれた機会だと捉えています」

十一娘は思い起こしていた。

私も母の事件を捜査する事だけを念頭に、旦那様を蔑ろにした。

この身も心も委ねようとしなかった頑固な私は今考えてもあまりに身勝手で恥ずかしい。

私が夜毎旦那様に翻弄されるのは甘い罰を与えられているのかも知れない。


その夜、本をひらいていた令宣が立ち上がって髷を解いている十一娘の背後に回った。

「貸してみろ」

十一娘から櫛を取り上げると器用に髪を梳き始めた。

旦那様が髪に触れるとぞくぞくするような快感が走る。

まるで髪の一本一本に神経が通じているかのようだ。

十一娘はうっとりと目を閉じた。

知らず知らずに頭は背後の令宣の腰に傾いてゆく。

次は妻の喉元に手を触れたかと思うと耳たぶを柔らかくもみ始めた。

鳥肌が立ち皮膚がぞわぞわとする。

「ああ・・気持ちいいです」

言った途端フッとその気配が消えたので十一娘は目を開けた。

「あ…もう終わりですか?」

「おいで…続きはこっちだ」

令宣は寝台に移動して手招きをしている。

「旦那様」

十一娘は腰までの髪をゆらゆら揺らして令宣の元へと辿り着いた。