楊家が養子を迎えて二月も経っただろうか。
久しぶりに佳怡から会いたいと文が届いたので十一娘は楽しみにしていた。
令宣が持ち帰った珍しい南方の果物を用意したり、客用の茶器を出した。
佳怡は訪れるなり奥様に尋ねたい事があるのだがごく内輪の話なので人払いをお願いしたいと乞うた。
明々も桔梗も十一娘が目配せする前に心得て下がって行った。
十一娘は茶を奨めたあと、佳怡の緊張をほどくよう穏やかに声をかけた。
「佳怡様とお喋りするのを楽しみにしていました」
「そのぅ…」
佳怡は話を切り出しかねているようだ。
どうやら夫婦間の話らしい…。
「実は…仙綾閣でお話したように私は隆を本当の子どものように可愛がっています…血の繋がりはありませんが甘えてくれると大変嬉しいのです…それは祖父母も同じで家中で息子を溺愛していると言っても過言ではありません…長らく寂しい暮らしをしておりましたから子どもが家に居るのが皆嬉しいのです」
十一娘は黙って相槌を打った。
「また隆はとても素直な良い子で善悪や分別も弁えております」
十一娘はこれにも相槌を打った。
彼女は嗣誡を連想して微笑んだ。
嗣誡は令寛の落胤だが二義姉怡真の養子として徐家に入り大切に養育されて素直に育った。
嗣誡も利口な上に性格も良い。
學問にも秀でて今では立派な徐家の公子として将来を嘱望されている。
「ただ…」
佳怡が口籠った。
「ただ…?」
「夫は私の隆への可愛がり方が気に食わないのです」
「…と仰いますと?」
「例えば朝私が隆の髪を結ってやっておりますと突如不機嫌になってそんなことは下女にやらせろと申します」
十一娘はフフっと噴き出した。
佳怡は驚いて顔を上げた。
「可笑しいですか?」
十一娘は手を振って謝った。
「ごめんなさい…それはご主人様の嫉妬。焼き餅ですよね」
佳怡は戸惑っているようだった。
「やはりそうでしょうか…?」
十一娘は太鼓判を押した。
「間違いありません…殿方は至って子どものようですもの…内緒ですがうちの夫でさえ私が子供たちの事ばかりにかまけていると不機嫌になる事がありますよ」
「まあ…徐侯爵でもそんな事が?そうですよね…徐奥様が仰るならやはり私の勘繰りではありませんわね…」
十一娘は先を急がせた。
「それでご主人の様子は?」
「実は…夫の様子がそれからおかしいのです。近頃は特に落ち着かない様子で…いつもは書斎で眠るのに昨夜は急に母屋の寝台に来て私の手首を強い力で握り締めて来ました…わたくしが驚いていると今度は強引に口づけをしようとしました…私、急に怖ろしくなって咄嗟にその手を振り解いてしまいました…」
十一娘はじっと聞き入った。
「それで…夫は傷付いたようでした…横を向いて寝るふりをしているのが分かって…私、、、私一体どうしていいのか」
十一娘はきっぱりと答えた。
「奥様を愛して居られるから嫉妬なさるんです…ご主人様はきっとその事に気が付かれたに違いありません…佳怡様は昨夜ご主人様を傷付けた事を後悔なさっておられるのでしょう?もし又同じような事をなさったら自然に受け容れて差し上げれば傷は癒えると思います」
佳怡は潤んだ目をして頷いた。
「十年です…私が夫に嫁いで。あの夜から十年も経ってこのような出来事があるなんて…夢でしょうか?」
愛は忍耐の中で咲く花のよう。
耐えて来た彼女にもたらされたこの変化を十一娘は心から喜んだ。
ただ急いては事を仕損じる。
「玲瓏な佳怡様には蛇足ですが…」
佳怡はこの際何でも聞こうと身を乗り出した。
「何でしょうか?」
「佳怡様はあくまで受け身でいるのが良いかと。そして…これからも隆ちゃんには変わらない態度で接して下さいね。隆ちゃんの為に」
「はい、隆の事は本当の息子だと思っています」
「殿方は狩人ですから逃げる獲物を追い掛けようと夢中になります。自ら罠に掛かるものは狩人の興味を惹きません。手に入り難い獲物ほど唆ります」
「成る程…奥様の仰る通りです…焦ってはいけませんね。肝に銘じます」
十一娘は冷めた茶を建水に零すと
もう一度熱い茶を煎れ直した。
玉の湯呑みに注ぐと馥郁とした緑茶の香気が立ち籠める。
「どうぞこれは茶葉の産地、私の故郷余杭から取り寄せました。ご賞味下さい」
養子を迎え、この屈折した夫婦は転機を迎えた。
この転機を活かせるかどうかは夫婦次第。
二人がわだかまりを棄てて和合すれば隆の弟妹の誕生も夢ではない。
十一娘にはそう感じられた。