●お読みになる前にご注意
【心の病、自死など取り上げています】



元娘は後味の悪い思いを噛みしめていた。

苛々と溜まったものを碧玉の不手際のせいにしてぶつけた。

苛立ちの原因は体調の悪さから来るものだ。

懐妊してからというもの悪阻が酷い。

安胎薬も処方して貰っているが治らない。

都で一二を争う名医と言われる太医にも診て貰っているのでこれ以上どうしようもない。


羅母上は父上の寵愛を得る為に熾烈な闘いを続けて来た女性だ。

その為には他の妾を陥れる事を厭わなかった。

私も同じ運命にあるのだろうか…。


あれからも旦那様が碧玉の元を訪れる気配はない。

今日も皮肉や嫌味が私の口をついて出て来た。

旦那様が酔った隙を狙ったのは奴婢の身分から妾に成り上がりたかったからだろう。

そんな卑怯な手を使ってまで旦那様を籠絡しようとしたのに何故旦那様を落とせない。

碧玉をそう詰った。

実はそうさせたのは母や私だ。

他の妾を牽制する為に碧玉を道具として使った事にこれでも良心が咎めない訳ではない。

それにこんな計略を用いた事が知れたら旦那様に嫌われてしまわないか心配だ。

旦那様は半ば私を疑っている。

それでなくとも旦那様は公務で留守がち。

私達の仲も疎遠になろうと云うもの。

元娘も碧玉と同様に鬱々とした気分が去らなかった。


侍女の報告によると碧玉は頻繁に秦姨娘のところを訪れているようだ。

秦姨娘も旦那様に冷遇されて久しい。

寂しい者同士慰め合っているのだろう。

元娘は気にも留めなかった。


令宣に再び嶺南地方への軍命が降った。

半月溿では慌ただしく準備が進み、当日福寿院では家族だけではなく姨娘達も呼び集められ出発する令宣を見送った。

軍服を身に着けた令宣のキリリとした姿は辺りを払う威厳があった。

元娘は皆の前で令宣の腰に慈安寺の護り袋を付けた。

令宣は大夫人に深く拝礼すると姨娘達とは視線も交わさずに出立して行った。


文姨娘は後の二人に向かって愚痴を零した。

「旦那様はこんな時くらい私達に愛想良くすべきよ」

秦姨娘は素早く周囲に視線を配ると文姨娘を諭した。

「しっ…聴こえるわよ。…それに旦那様が軍功を立てれば私達にも恩恵があるのよ」

「ふん、そうならいいけれどね…」


あけすけな会話も旦那様の軍功も私には無縁だ。

令宣の手が付いていない碧玉はここでも仲間外れの哀しさを味わった。


見送りが終わると皆それぞれの屋敷へと散って行ったが碧玉だけは秦姨娘の部屋に連れ立って行った。

部屋に入ると

碧玉は懐から変わった手巾を取り出して秦姨娘に手渡した。

蓮の花を刺繍した絹だったが花は右半分だけが刺されていた。

「秦様…私の生き別れになった妹はこれと対になった手巾を持っています…もし今後妹と遭われるような事がありましたら親切にしてやって下さい」

秦姨娘は不審に感じた。

「どうして自分で探し出さないの?」

「探していますが見つかりません…秦様、私は家族と縁が薄いのです」

その表情はどこまでも哀しみに満ちていた。


翌朝、

佟姨娘に充てがわれた居室の梁から下がる白絹の遺体を侍女が見つけた。

侍女は金切り声を上げて腰を抜かした。

順天府から調査官が派遣されて来たが侍女の証言により碧玉は心を病んで自害したとしてその日のうちに結審した。

西の外れのその部屋は数少ない遺品を整理する者も居らず扉は閉じられやがて放置されて行った。


元娘は体調が回復しないまま早産し長男諄を出産した。

小さくひ弱な赤子だったが老練の助産婦と大医の懸命な庇護により命を繋いだ。

徐家は嫡男の誕生に大いに湧いた。

大夫人は戦地の令宣にその朗報を知らせる早馬の使者を雇った。

令宣からは折り返し諄の命名と健康を祈る文が届いた。