「奥様、只今帰りました」
「お遣いご苦労だったわね…久しぶりの羅家はどうだった?」
碧玉は浮かない顔付きで返答した。
「はい大奥様はお変わりなく……
奥様によろしくと…この封書を預かって参りました」
碧玉は袂から封書を取り出し元娘に手渡した。
「そう…ありがとう。疲れたでしょ。さがっていいわ」
封書は封蝋で厳重に封がされてあった。
碧玉を下がらせると元娘は早速開封した。
そこには大夫人が碧玉に指示した内容が書いてあった。
元娘は陶乳母を呼ぶとその文を見せた。
「この通りに事が運ぶよう碧玉を手伝って上げて」
陶乳母は読むと即座に文を蠟燭の火に焚べてしまった。
「旦那様に見られてはいけません」
そして元娘を安堵させるように約束した。
「奥様ご安心下さい。旦那様が次にお仲間と酒席に出られる日をそれとなく確認しておきますから…それまでに碧玉に用意させておきます。奥様は知らないふりをなさってて下さい」
「任せたわ…」
元娘の瞳は不安と嫉妬と企みへの後ろめたさで曇っていた。
或る夜、令宣は痛飲して帰宅した。
この頃の令宣は公休の前夜には営倉の部下を連れてゆき大抵夜半まで呑んで帰る事が多かった。
この日も夜間外出禁止令の鐘がなる中、臨波に肩を貸して貰いながら徐家の門を潜った。
正門から入ると陶乳母と碧玉がさも偶然通りかかったかのように立っていた。
「おやおや…まあ大変だこと。旦那様〜旦那様〜…まあよく酔っておいでで…傳殿ここいらで結構ですよ…後はこちらでお連れしますから…」
「では、後はお願いします」
臨波は苦笑いしながら帰って行った。
陶乳母は門番の二人に言い付けると令宣を東跨院の離れまで連れて行かせた。
ふらふらする令宣の身体から上着を脱がせ
寝台に寝かせるとゆらりと令宣の手が持ち上がってあらぬところを指さした。
「水を…水を呑ませてくれ…」
陶乳母の目がきらりと光り碧玉に合図を送ると自身は足音を消して寝室を出て行った。
碧玉は湯冷ましを湯呑みに注ぐと令宣の口元へと運んだ。
令宣はごくごくと飲み干したかと思うと頭を枕に沈めてそのまま寝入ってしまった。
碧玉は令宣の寝顔を暫く眺めていた。
疲れと酔いに支配された令宣は全くの無防備だった。
今から仕掛ける事を考えると碧玉は口から心の臟が飛び出すのではないかと思う程だった。
けれど片方ではもうこうするしかないのだと頭が命じている。
碧玉は立ったまま震える身体から着物を脱ぎ落とした。
足元に落ちた着物はそのままに薄い下着だけの姿になると令宣の隣にスルリと滑り込んだ。
碧玉が今まで触れた事もない絹の布団は素肌にひやりと冷たい。
仰向けに横たわって寝台の天井を仰いだ碧玉は自分にこんな大胆さが備わっていようとは信じられなかった。
先程万一に備えてと陶乳母に飲まされた薬湯で胃の腑の辺りが気持ちが悪い。
隣から何も知らない令宣の寝息が聴こえる。
そっとその横顔を伺えば男性を知らない我が身の
為せる企みが今更のように罪深く浅ましく感じられてならない。
何時までも寝付かれなかった碧玉も闇の中に身を横たえているうちに草臥れてやがて眠りに陥った。
翌朝、離れに光が差し込むと令宣はうっすらと目覚めた。
その途端、寝床に違和感を感じた。
首を回して隣を見ると我が身の横で寝息を立てているのはあろう事か
妻・元娘の侍女ではないか!
令宣は仰天して飛び起きると慌てて床を離れた。