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或る日、方佳怡の家の使用人が文を持ってやって来た。
文には何日何時訪問したいがご都合は如何かと尋ねる内容で下人は返事を待っていると云う。
十一娘は直ぐに承知しましたと返信を書いて持たせた。
先日はいきなりの訪問だったけれど
今回は正家の嫁として礼儀正しく順を踏んだ。
十一娘はそこに佳怡の心の落ち着きを感じ取った。
約束の日の午後、茶菓を準備して待っていると先日より遥かに顔色の良い令夫人が入って来た。
十一娘は侍女達を下がらせると暖閣の座を勧めてより近くに座った。
「徐奥様…お陰さまで養子を迎える事が出来ました…舅も姑も部屋を準備したり大わらわで私など出る幕がない程喜んでいます…今日は一区切りを付ける事が叶いましたのは徐奥様のご親切のお陰とお礼を申し上げに参ったのです」
「何を仰いますか…決断されたのは方奥様ご自身です」
十一娘はにこやかに茶を勧めた。
「もっと早くに決断すれば良かったと思いました」
菓子も勧めながら十一娘は微笑んだ。
「でも重要な事ですから時を掛けられたのは賢明だと思います」
佳怡は賢そうな瞳で笑みを返した。
「なかなか私の気持ちがそこに至らず義両親には長いあいだ気の毒をしました…」
「ご両親は優しい方達のようにお見受けします」
「はい…随分耐えて下さいました…夫があれでも私が生きて来れたのはあの義両親ゆえです…ただ両親に真実を明かす訳には参りません…妾が皆自ら家敷を出て行ってくれたのは幸いでした…」
夫の話になると途端に佳怡の顔に陰が出来るのが痛々しかった。
「ともあれ、嫡子の件は解決した訳ですし佳怡様は今後はもっとご自分の愉しみを探して行かれては…?」
「ありがとうございます!そう仰ると思っていました。…実は徐々に気持ちも落ち着いて参りましたので…ご相談なのですが…徐奥様は仙綾閣で刺繍を教えていらっしゃるとか…私もその生徒の末席に加えて頂けませんでしょうか?」
「生徒は皆、難民出身の繍女ですが…」
「無論存じております…お恥ずかしい事に、私この歳まで手仕事というものを一切した事が有りませんの…でも徐奥様に手解きして頂けるのでしたら恥も厭いません」
積極的に訴えかけてくる佳怡に十一娘は胸を打たれた。
心の病をそう軽く考えてはいけないとも感じた。
今は養子を得て心が軽くなっているだけかも知れない。
また夫との行き違いが再燃して悩まないとは言い切れない。
だが此処まで来れば乗り掛かった船だ。
引き受けるなら気持ちよく喜んで引き受けたい。
十一娘はそう心に決めた。
「方奥様のお気持ちよく分かりました」
簡師匠なら心の広い方だから頼めば赦して下さるだろう。
「生半可に齧った方より教え甲斐があります。最初は見学するつもりでお越し下さい…習うかどうかはそれからお決めになっても遅くはありません…それと」
「それと?」
「ひとつ…繍女達は農村出身者ばかりです。教室に来られる時のお着物に気を付けて下さい」
方夫人は心得たとばかりしっかり頷いた。
「はい、承知しております。なるべく皆さんの中で浮かないような着物で参ります」
夜、西跨院へ帰ってきた令宣にその話をすると令宣はそのなり行きに驚いていた。
夫にも楊知音と方佳怡の夫婦生活の深い事情は話して居ない。
「十一娘、いつの間にそんなに楊の奥方と仲良くなったのだ?」
「出会い頭にああ云う騷ぎになった事を先日わざわざ謝罪に見えたのです…それからです」
「そんな事があったのか…ならいい…ただお前の負担にならなければ良いが」
夫はあの取り乱した方夫人しか知らない。
「ご心配は要りませんよ。養子を迎えて随分気持ちが軽くなられたようでしたよ」
令宣は隣りに座ると妻の肩を抱いて褒めた。
「十一娘…本当にお前は面倒見が良いな…皆に慕われる理由はそこだな」
十一娘は照れて夫の手の甲を軽く叩いた。
「旦那様ほどではありませんよ」
「そうか?…ではお前の面倒は私が見るとしよう」
令宣は妻の肩をゆっくりと揉んだ。
「旦那様…嗚呼…とっても気持ち良いです」
「くれぐれも無理をするな…」
「はい、気を付けます」
「お前は他の誰のものでもない…私の大切なものだからな」
「旦那様…」
十一娘は振り向いて夫の首に腕を巻き付けた。
「気付いてらっしゃいます?」
「何をだ?」
「紅の色を変えました…」
令宣は目尻を下げた。
「そうか…では味わってみる事にしよう…」