十一娘は令宣の盃に酒を注いだ。

今まで言いにくかったが、令宣の方から母の事に触れてくれたので思い切って話してみようかと言う気になった。

まだ躊躇する気持ちも少し残っていた。

令宣はそんな妻を見ていた。

「何かお母上の事で話があるのか?」

「旦那様…」

「遠慮するな…話しなさい」

旦那様には私が結婚から逃げようとした件を二姉から聞かされて嫌な思いをさせ、傷付けた過去がある。

十一娘は躊躇いがちに口を開いた。

「旦那様…旦那様は埠頭での目的をお尋ねでしたね」

「それがお母上と関係していると?」

「はい…旦那様怒らないで聞いて下さいますか?」

令宣は真面目な顔になった。

「お前が正直に話してくれる事に怒ったりせぬ」


「実は埠頭には余杭へ行く船を探しに行きました…」

「それが区彦行の船だったのか」

いきなり言い当てられて十一娘は目を丸くした。

「旦那様!?何故それを?」

令宣はにやりとした。

「見損なって貰っては困る。埠頭に停泊する船の籍はすべて把握してある。これも巡防營の仕事のうちだ」

十一娘は慌てて両手を振り否定した。

「旦那様!でも…でも林公子があそこに居る事は全く知りませんでした…旦那様達と別れた後で本当に偶然に出会ったんです。私が何の目的で余杭に行くのかさえ教えていません」

「ふむ…」

「彼の船に乗せて貰う段取りになって…でも結局、慈安寺で母が亡くなってそれどころではなくなりました」

令宣は杯の酒を飲み干した。

「余杭へ行ってどうするつもりだったのだ?」

「母と冬青と三人で暮らしてゆくつもりでした」

「刺繍で身を立てる積りだったんだな?」

「はい」

令宣の目が鋭くなった。

「当時はそんなに私に嫁ぐのが嫌だったのか?」

十一娘はそれにも身振り手振りで否定した。

「違います!…正直に言えば確かにお妾さんの居るところに嫁ぐのは嫌でしたが…」

「が?」

「その時私は王煌に嫁がされそうになっていました」

初耳だった令宣は驚愕した。

「何?!」

「母は泣いて抗議してくれましたが決定は覆らなかったんです」

令宣は納得したように頭を振った。

「それで結婚から逃げる計画を立てたんだな?」

十一娘は頷いた。

令宣は盃を置き、暫し考えに沈んでいた。


令宣は十一娘の手を引いて暖閣へ連れて行くと妻を自分の隣に座らせた。

ぴったりと身体を添わせると頬と頬を寄せて哀願するかのように囁いた。

「十一娘…約束してくれ…今後どんなことがあっても私から離れないと」


令宣は運命の糸というものを信じてはいなかった。

だが…。

これは天の配剤だと信じたかった。

もし十一娘が計画通り彦行の船に乗っていたなら我々二人の縁は完全に切れていただろう。

王煌などに縁付いていたなどと想像しただけでも許せない。


何と言う事だ。

もし彦行の船に乗っていたら

もし王煌に嫁がされていたら

いずれも彼女は私のものにならなかった。

その恐ろしい考えは令宣の肝を冷やした。

運命の細い糸の上を綱渡りするかのように十一娘は私に嫁いで来てくれたのだ。


十一娘はそんな夫を見て尚一層夫に身を寄せた。

「旦那様、茂国公家より前に、母は私が旦那様のところに嫁ぐかも知れないと聞いてとても良い話だと喜んでいました。旦那様に嫁いだのは母の願いでもあるんです…ですから、どんなことがあっても私は旦那様の傍を離れません」

「十一娘…」

「旦那様…」

二人は手を取り合い見つめ合った。

令宣の掌が十一娘の頬を包み込む。

十一娘は瞳を閉じた

二人の唇が最も近付いたその時

桔梗の声が割って入った。

「奥様〜〜〜っ?もう片付けていいですかあ〜?」

十一娘は夫から身体を離してつい大声になる

「いいわよ〜」

令宣が見えないところに居る桔梗を睨みつけた。

「桔梗め…雰囲気を解さない奴!」

「はあ〜〜〜っ?旦那様何か仰いましたか〜?」

「何も言っとらん!…」