久し振りの休暇なのに令宣は朝早くから半月溿に籠もり報告書に目を通している。
十一娘は茶を淹れながら水を向けてみた。
「旦那様、久し振りのお休みですね」
そこでやっと令宣は顔を上げた。
「桂花楼で昼飯を食おう」
十一娘の目が輝いた。
「ホントですか!あ、旦那様、桂花楼の近くの螺街に絹糸問屋があります。そこへ寄って頂いても?」
「あゝそうしよう」
馬車に乗ると令宣の記憶が蘇った。
「そう言えば…何故お前を埠頭へ連れ出したかを思い出したぞ!」
え〜ん思い出しちゃったの?!…
十一娘は内心舌打ちをした。
令宣は妻の肩を抱いた。
「十一娘、あれから時間はたっぷりあったぞ。どうだ思い出しただろう…埠頭に何の用があったのだ」
令宣の顔が近い。
「え?旦那様が不純な事件に巻き込まれていたのですっかり忘れていました!」
令宣は鼻白んた。
「何が不純だ!私がいつそんな事をした。お前こそ言い訳はよせ。疚しいことがなければ話せ」
「疚しいのは旦那様です」
不毛な言い合いのうちに馬車は螺街に到着していた。
絹糸卸のその店に入り目当ての刺繍糸を購入すると二人は店を出てぶらぶらと桂花楼まで歩いた。
「見事な金糸だったな」
「旦那様。本当の金糸は皇宮の内務府にしかありません。これはその模造品です」
「そうなのか?」
「はい、統制品で私達一般の手には入りません」
「なかなか難しいものだな」
「本物の金を使いますから…倭寇との闇取引きでもあれば別ですが…」
「脅すな…物騒だな」
「簡師匠から聞いた事があります。喬家は内務府にその金糸を納入することで太官の信任を得ているとか…」
「その糸の出所が倭寇だと?」
「可能性はあると思います」
「ううむ…それに太官と大臣の癒着は重罪だ。一度内密に精査すべきだな…十一娘、よくぞ教えてくれた」
「いいえ不確実な情報です。聞き齧りの生半可な事を言いました。お許し下さい」
「それでも内偵してみる価値はある…」
令宣は歩きながら考えを巡らせていた。
二人は桂花楼の二階の眺めの良い部屋に通された。
「何でもお前の好きなものを頼みなさい」
浮き浮きしながら品を選んでいる妻が可愛くて令宣の頬は緩んだ。
十一娘は三品を選び給仕に頼んだ。
「なんだそれ位で良いのか?諄と諭を連れて来たら十品は頼むぞ」
「いやだ、あの子達と一緒にしないで下さい。一皿の量が多いのでそんなに頼んでも食べられません…それよりも旦那様と歩きたいんです」
その提案に令宣の頬は益々緩んだ。
「その後で何処か茶店で美味しいお茶と甘い物を食べたいです…」
令宣は横目で妻を見て笑った。
「ははは…結局食べるんだな」
十一娘ははたと思い出した。
「そう言えば!あの埠頭の茶店の店主はどうされてます?」
令宣も内心舌打ちをした。
忘れてくれれば良いものを。
令宣は不服そうな声を出した。
「代替わりした」
「え?」
「あの埠頭界隈で薬物の闇取引が横行していたのだ」
「もしかして、店主も関係を?」
「勘が鋭いな…。店の権利を売り姿を眩ました」
「そうだったんですか…どおりで…旦那様が理由もなく女性の部屋に入る筈がありません。旦那様は何らかの手を使われたと思っていました。薬物と言う卑怯な手を使ったのは許せません」
「うむ…」
令宣は妻の手を取った。
十一娘は常に私を信頼してくれている。
たまに妬いてくれるとそれがまた令宣は大層嬉しい。
あの時は焦ってとんだ焼き餅を妬いてしまったと十一娘は一人でぽっと赤くなった。
十一娘は夫の手を握り返すとうっとりと微笑み返した。
昼日中、割り込めない雰囲気を漂わす二人に
料理を運んできた給仕がいたたまれず声を掛けた。
「お客様…もういいでしょうか…」
令宣はゴホンと咳払いをした。
十一娘もはっとして赤くなり夫の手を離した。
その夜、床の中で十一娘が尋ねた。
「実のところ私を呼んでくれたのはどなたなんですか?」
令宣は妻の髪を撫でていた。
「聞いて驚くな…」
十一娘は夫の顔を見上げた。
「誰でしょう?」
「区彦行いや林彦行が現場に居て機転を利かせてくれたのだ…店主の闇取引を目撃したのも彼なんだ」
十一娘は目を丸くした。
「どうして…林彦行があの埠頭に?」
「うむ、都察院に接収された彼らの船を買っておいた…一年前にな。帰って来たらすぐに商売を再開出来るように」
十一娘は驚いて半身を起こした。
「旦那様!なんてお優しい…商売が出来たらきっと琥珀も幸せになれます…」
「お前はあの二人を心配していた…だから」
十一娘は胸がいっぱいになった。
彼女は令宣の頬を両手で包み込むと夫の瞳を見つめながら徐々に距離を縮めた。
「旦那様…大好き」
そう言い十一娘が令宣に口づけしたのも束の間、十一娘はあっけなく夫に組み伏せられ形勢は逆転した。
胸に夫の重みを感じながら十一娘は熱い口づけを受けた。
十一娘が口づけに夢中になっていると
令宣は十一娘の襟の留め金を器用に片手で外した。
「十一娘…綺麗だ…」
前を開いて現れた二つの丘は恥じらいに輝き愛おしげに見る夫の瞳は途方も無く色っぽい。
西跨院に昇った明るい月はやがて薄雲に隠れて淡い光を放ち寝室の窓辺をしっとりと照らし出した。