十一娘は先程から粘り強く交渉していた。

「旦那様、絶対に危ないことはしませんから!」

「駄目だ」

令宣の声は断固としていた。

十一娘は今度は夫に擦り寄りその胸に手をかけた。

「旦那様〜…いいでしょ?」

「駄目だ」令宣は曲げなかった。

十一娘は令宣の首に手を回して抱きついて頼んだ。

「ねえ〜ねえ〜旦那様〜〜…」

流石に令宣の鼻の下が伸びそうになったがこれにも令宣は心を鬼にした。

妻の腕を外して顰め面を堅持した。

「駄目だ!お前に危険な事はさせられない」

十一娘はプンと横を向いて小声で呟いた。

「いいです…萬大顕に習うもん」

途端に令宣の顔色が変わった。

「なんだと!それは絶対赦さん…お前が命じたら萬大顕はクビだ」

「え〜〜っ………!!」


少し離れて控えていた桔梗がぷっと吹き出した。

十一娘はそんな桔梗を見て恨めしそうに呟いた。

「いいなあ〜桔梗は。馬にも乗れるし剣術も出来て…」

令宣は呆れて順々と諭した。

「いいか、誰にでも出来る事と出来ない事があるんだ。…桔梗、お前は刺繍が出来るか?」

桔梗は思いっきり手を振って否定した。

「と、と、とんでもない!針を持つなんて私には百万年早いって言われます」

「そら見ろ…」

「桔梗、刺繍ならいつでも教えて上げるわよ」

それにも桔梗はぶんぶんと手を降った。

「け、け、結構です…あ、もうこんな時間!旦那様奥様、萬大顕と手合わせの時間ですので失礼します!」

そう告げるとあっと言う間に消えて居なくなった。


ぶすっとした十一娘に令宣が尋ねた。

「十一娘、お前なんでそんなに乗馬に拘るんだ?」

よくぞ尋ねてくれました…。

十一娘は再び令宣に取り縋った。

「旦那様…先日埠頭で旦那様が怪我をなさった時、私はおっとり馬車で駆け付けました…あの時思ったんです…旦那様の大事に私が馬に乗れたらもっと早く駆けつけられるのにって…そう思うと情けなかったんです…」

「そうだったのか…」

令宣は十一娘の手を握ってその思いやりにジンとしていた。

「では、明日馬に乗せてやろう」

「本当ですか!?」

「あゝ本当だ。男に二言は無い」

「旦那様…大好きです…」

令宣の鼻の下はどんどん伸びた。

「今夜が楽しみだな…」

「え?どうしてですか?」

「忘れたのか?お前が捨てないと死守したあの草紙だ。私を喜ばせたいと言ってたじゃないか」

(覚えてたんだ…)

十一娘は頬を紅潮させた。

「む…」

「む?」

「む、無論です…女にも二言は…あり、ありま」

「ないんだな」

(泣)


❤…❤…


翌朝、すっきりした顔の令宣の機嫌は素晴らしく良かった。

朝餉も済ませ令宣は凛々しい軽装に身を包み先に出かけていった。

十一娘は明々にきりりとした男髷を結わせた。

「奥様は男装もお似合いですね!諄様の衣服がこれほどぴったりとは!」

十一娘ははにかんだ。

「そ、そう?」

「はい!」

十一娘は自信を付けた。

「この格好なら馬に乗ってもサマになるわね?」

「はい!格好いいです!旦那様も惚れ直しますよ!」


意気揚々と令宣と待ち合わせした正門まで出た十一娘はもうそこに堂々と男らしい姿で立っている令宣を見つけた。

旦那様…相変わらず惚れ惚れするわ…。

令宣は男姿で現れた十一娘を見て目を細めた。

まるで自分の幼い弟のようで可愛くて仕方ない。

令宣は用意した馬に十一娘を乗せると自分も背後から乗った。

「さあ、十一娘この手綱をしっかりと握れ」

「…旦那様…もう一頭は?」

令宣はきっぱりと言った。

「この三郎だけだ。良い馬だろ」

「え〜〜〜〜っ!約束が違います!私が一人で乗れるようにして下さるんですよね?」

「誰がそんな約束をした?私はお前を馬に乗せてやると言っただけだ」

「え〜〜〜っ!酷い!騙しましたね!」

「酷くない。お前が怪我をしないよう私が一緒の時だけ乗せてやる」

「え〜〜〜〜っ!?」

「いくぞっ!しっかり手綱を持て!チャ!!」


走り出した馬にしがみつき形だけ手綱を取る十一娘は次は騙されない、と心に刻み込んだ。

「え〜〜ん…」

「チャ!!」