ある日、令宣の軍営に彦行と安泰が訪れた。

彦行は令宣の前に出るなり膝を着いた。

安泰もそれに倣う。

令宣は驚愕してその腕を取り彼を立たせた。

「何をするんだ!」

「候爵殿、ありがとうございます…私達に船を提供して下さった事感謝に堪えません」

「私の方こそ娘の暖暖の生命を救って貰った。礼を言うのは私の方だ。どんなに礼を尽くしても足りない」

「あれは我々にとっては偶然の成り行きでした…天が候爵の徳に報いて下さったに違いありません」

二人は互いに深い感謝に包まれて微笑みを交わした。

「ところで、候爵。少しお耳に入れておきたい事があります」

「何なりと…」

「実は埠頭に闇で薬を賣る榔安と言う男が居ます。先日候爵殿が摘発された埠頭近くの茶店の女主人がその男と取引していたのを見ました。催淫剤や睡眠薬です。ご注意ください」

令宣の顔色が変わった。

「闇で薬剤を売買するのは無論違法だ、、、臨波、この件を覚えておけ…摘発すべき案件だ」

確かに違法な取引を行った薬物は粗悪な原料が多く次第に心身を病み廃人同様となる害をもたらしていた。

臨波が応じた。

「候爵、必ず捕縛してお目にかけます!」


埠頭での捕り物が終結し茶店も営業を再開した。

店は昼時や荷揚げが一段落した時間帯が忙しい。

令宣は客が引上げた夕刻を見計らい店に足を向けた。

もう使用人はおらず珠児一人が店番をしていた。

「候爵様…」

珠児には嬉しい誤算だった。

もう来て下さらないかも知れない…。

心配で胸が塞がれたように苦しかった。

「候爵様、いつものお飲み物でよろしいですか?」

「あゝ」

珠児は令宣の為に茶を点てて運ぶと自分もその前に座った。

「もう来てくださらないのかと思っていました」

「何故だ」

「私が余計なお世話を焼き奥様を怒らせたのではと思いまして…」

「何故妻が怒るのだ」

「私の部屋に候爵をお通ししたからです。奥様が焼き餅をお焼きになるのは当然です」

令宣の声が次第に冷たくなって行くのに珠児は気が付いていなかった。

「何故、私を眠らせてお前の部屋に入れた」

しおらしく俯き加減だった珠児は驚いて顔をあげた。

そこで初めて珠児は令宣が何の為に此処へ現れたのかを理解した。

自分を気遣って来たのでは無かった…。

「候爵…」

「言え!正直に話せばお前の父に免じて赦してやる。私を誤魔化せると思うな…」

珠児は蒼白になった。

「や…薬湯を…鎮静効果のある薬湯を処方して貰いましたら効き目が早すぎて驚いたのです…」

「鎮静効果だと?出所の怪しい薬だろう!」

「お、お許し下さい…余りにもお疲れだったのでつい独断でお飲ませしました…」

「私を騙せると思うな…」

何をどう言い繕おうと令宣は誤魔化せない…。

珠児はそれまでの小粋な茶店の女主人の仮面を脱ぎ捨てた。

珠児は席を立って令宣の隣に座りその腕に縋り付いた。

「候爵様、私の気持ちはご存知の筈…都の貴人は皆外に愛人を囲っています…
なぜ私が貴方の女になってはいけないのです?

一度でいいんです…抱いて下されば私の良さが分かります」

令宣は絡みつく珠児の身体を振り解くと立ち上がった。

「そんな気持ちは露ほども無い」

珠児は尚も食い下がった。

「何故?…私はそんなに魅力がありませんか?どうして抱いては頂けないのです?」

「お前は相手を間違えている。今まではお前の父親に免じて親切を施した。だがお前は薬物の違法取引をした。恐らく臨波が捜査するだろう…覚悟しておくんだ」


そこまで言うと令宣は銭を置き店を後にした。


それから程無くして埠頭のその茶店は閉店した。

新たに夫婦者がその店の権利を手にした…と臨波が聞きつけて来た。