令宣夫婦は久しぶりに里帰りした諭を呼び共に朝食を摂った。

「来年春は会試ですし今日は翰林院に見学に行くつもりです。それから新健胡同で古書店を回ろうかと思っています。都でしか手に入らない資料も多いので…」

令宣は頼もしそうに息子を見た。

「帰宅しても勉学第一なんだな…将来の目標はあるのか?」

「はい、殿試に受かって出仕が叶えば工部で働きたいと希望しています」

令宣は思わず聞き直した。

「工部?」

「はい、建設よりも河川や堤防、橋の設計と改修工事に携わりたいのです」

「ふむ…国家の基盤を成す大きな仕事だな…実に男らしい」

令宣は満足気に頷いた。

「文献を買うなら金を渡そう」

「父上、大丈夫です。母から持たされてますから…多分母は話してなかったと思いますが四川で婦人相手の装飾品店を開いたんです」

これに反応したのは十一娘だった。

「装飾品店?」

「はい、秋紅と二人、私の世話だけでは暇なので考えついたようです。ちいさな店舗ですがそこそこ繁盛してますよ」

「どんな品を?」

「あちこちから婦人用の身の回りの多彩な品を…香袋や指輪や房飾りなど仕入れて…詳しくは分かりませんが本人は嬉々としてやってますよ」

十一娘は顔を綻ばせた。

「良かったわ…文姉の最も得意分野ですものね。それで趣味と実益、一挙両得ね!」

令宣もしみじみと息子の報告を喜んでいた。

「私も懸念していた…銀子の心配はなくとも何かひとつ心の芯棒になるようなものがあればと願っていた…」

「ご心配なく…母はあれで結構商売人気質ですから」

令宣は息子の肩に触れた。

「一先ず安心した…商売に浮き沈みは付き物だ。万一何かあれば私を頼るんだぞ。帰ったらそう伝えてくれ」

諭はにこやかに答えた。

「はい、必ず伝えます」

十一娘は立ち上がって寝室の箪笥から出来上がった刺繍品を持ち出して来た。

「諭くん、これを帰りに渡すからお母様に遣って貰って…店で扱って貰ってもいいしお好きにね…」

諭は父と嫡母の心遣いに喜びながら翰林院へと出掛けて行った。


「諭君、随分と成長しましたね…」

「うむ…工部に出仕したいとは意外だったな…だが何より国と民に貢献出来る男の仕事だ…工部にいる後輩に近頃の仕官について尋ねてみよう…」

令宣は満足気だった。

十一娘はそんな夫に語りかけた。

「旦那様…諄君も遼東で良い師匠について学んでますし、諭君も迷いがありません…旦那様としては少々お寂しいのではありませんか?…」

令宣は感慨深い目付きになって妻を見た。

「十一娘、お前もここに辿り着くまで苦労したじゃないか…後はわたし達の暖暖の成長だけだ」

十一娘は夫の言葉に目頭が熱くなって言った。

「旦那様…そうは参りません」

「何故?」

令宣は不思議そうな顔をした。

十一娘は立つと夫の左の手を取った。

その手を自分のお腹に当てた。

「旦那様、ここに貴方の分身が宿っています…」

令宣はガバと立つと十一娘を抱き締めた。

「十一娘!…」

「昨日太医に診て貰いました。三ヶ月だそうです」

令宣は嬉しさに心がはち切れんばかりになり咄嗟に言葉が出なかった。


暫く妻の背中を大切そうに撫でていた彼はかけがえのない宝物をこの上なく優しい口づけで労った。