曹文挙氏は戸部清吏司の退官を目前にした従九品の役人だと言う。

子どもは娘が二人居るが遠方に嫁いでしまい滅多に会えないとも聞いた。


曹文挙は仲人の言った通り目立たない印象の真面目で大人しそうな人物だった。歳は五十。

事務職を長年勤めて来て来年か再来年春には退官すると言う。

仲人がべらべらと一人喋っていたが、突然曹氏はその口を手で制した。

「これからは両家で忌憚のないところを話し合いたいと思いますので一旦席を外して頂けると助かります」

仲人は一瞬アラッ!と驚いていたがそこは流石に職業仲人であった。

畏まりましたと大人しく退席していった。


曹文挙氏は苦笑いをした。

「やれやれ、あの口にかかると言いたい事も言えないでしょう」

それまでぼんやりとしていた子衿の父親はハッとして、曹氏に仕切りと頭を下げた。

「まことに…そうですとも。うちは子衿も大人しく寡黙ですから…」

「左用ですか…。私もこのような歳ですからお嬢様も無理なさらず仰りたい事があれば何なりと仰っしゃって下さい」

両親は相手が話の分かる大人である事にもうそれだけで気持ちが解れてしまいより乗り気になった。


話はトントン拍子に進みやがて斉子衿は曹文挙と祝言を挙げる運びとなった。


質素な屋敷ではあったが亡き前妻が丹精した梅の木が美しく、一戸を構える人の妻となれて子衿は満足だった。

文挙は子衿に優しく接した。

子衿が非常な期待と恐怖を持って臨んだ夜の儀式は拍子抜けするくらいあっさりと終わってしまった。

有体に言ってしまえば子衿はその夜を物足りなく感じたのだった。

以前下人が納屋に置き忘れていった浮世絵草子をこっそり見たことがある。

そこに描かれていたような烈しく淫らな男女の絡み合いを想像して一人あれこれ心配していた自分が馬鹿みたいだ。

子衿はそんな事を考える自分は夫よりずっと低次元な人間だと恥じた。


曹文挙には兄弟の他に一人姉が居て今日は祝言後初めて訪ねて来た。

その姉は玉の輿に乗ったと親類が教えてくれた通り夫は吏部の侍郎を務めている官吏で朝廷の大臣とも親しい。

子衿はその義姉が煩わしかった。

悪い人ではない。

ただ子衿とは経済状況が釣り合わないのだ。

子衿の実家はより下級役人の家だ。

慎ましく暮らすのに慣れている。

子衿は何を言われるか身構えていた。

「あなた、まだ若くて綺麗なのにお着物が地味だわ…」

限られた俸禄の中でやりくりせねばならないのにと子衿は押し黙った。

すると文挙が突然何を思ったか

「姉さん、子衿の為に一着誂えます。見立ててやってくれますか?」

と言い出した。

義姉は大はしゃぎで最近都で人気の繍房に子衿を連れて行くと興奮していた。


義姉が帰ると子衿は不満げに夫に訴えた。

「あなた、どれ程費用が掛かるか分かりませんのにどうしてあんな事を?」

文挙は柔和な顔で不服そうな子衿を宥めた。

「姉さんの顔も立ててやらないと。それに君にも新しい着物を買ってやりたいんだ」

元々優しい性格だが姉兄弟には特に寛大な文挙に子衿は心の内で反論した。

あの義姉なら普及品の反物では満足すまい。

家政を預かる身にもなって貰いたい。

先々を見越すと見栄を張る程の余裕はないのだ。


翌日、早速義姉が馬車を仕立てて迎えにやって来た。

馬車は都の大通りに向かって進み出した。

どんな高価な絹を押し付けられる事になるやら…。

義姉は子衿の不安気な顔を吹き飛ばすような明るい様子でこれから行く仙綾閣の話をし始めた。

「都の主だった家柄の奥様方はねぇ皆さん通っておられるのよ。…」

子衿は心の中でこぼした。

義姉さん、うちはそんな大家じゃございません。

「陛下直筆の扁額も賜った…」

そんな大層なお店に行くなんて…無理よ…。


「……は永平候爵の奥方様が……」

いい加減に相槌を打っていたら突然目を覚まされた。

「お義姉さん、今何と仰ったのですか?」

急に話を遮られて義姉は驚いたが今話した事をもう一度繰り返してやった。

「仙綾閣は簡先生と永平候爵の奥様がなさっているお店だって言ったのよ」


なんですって…。

斉子衿は自分の顔がものの見事に白くなっていくのを感じていた。