繁華な通りを一つも二つも過ぎた辺りに質素な民家がある。

門柱には気をつけないと見落としてしまうような表札が架かっていた。

「細工師 程」と無骨な書体で記されている。

令宣と照影は玄関の木戸を開けて前庭に入った。

照影が中へ声を掛けた。

「ごめんくださーい」

二人が小屋のような家屋の中に入ってゆくと先客が居た。

派手な着物の衿を大胆に抜いた着付けはどうやら玄人の女らしいと見えた。

女は振り向くと「あら!」と小さく声に出した。

照影はその顔を見て思わず一歩下がった。

先程思い出したばかりの例の怖いお姐さんだった。

いや、いい人なんだと思い直したが身体が勝手に反応したのだ。

旦那様の顔を伺ったら旦那様には何の記憶もないらしい。

照影は自分も記憶を失くした積りで黙っている事にした。


令宣は女の向こうから顔を出した老職人に挨拶をした。

「世話になる。また頼みたいものが出来た」

「あゝ、待っておいで。この人のが終わったら聞くからそこに座るがいい」

小屋の隅に置いた土埃を被ったような切り株の粗末な椅子を勧めた。


燕燕はがっかりして横目で令宣達を見ていた。

徐候爵…。

あたしの顔を全然覚えてないみたいじゃない。

あの付き人はしっかりあたしを覚えてるようなのに…。

でも、あれよね。

此処に来たと言うからにはまた奥様への贈り物よね。

ふふ…仲良くやってるじゃん。

あたしのお陰よね。

精々夜のお愉しみにお励みなさいませ…うふふ。


そこまで考えてついニヤニヤしていたら細工師の老爺が変な顔をしてこちらを見ていた。

老爺は派手な紅い色石のついた金の指輪を手渡した。

「これでいいかい?」

「あ、ありがとう。早いわね。お代は幾らかしら」

「これくらい直ぐに治せる。金は要らない。また歪むような事があれば持っておいで。くれぐれも指輪をつけたまま重たい物を持つんじゃないよ。金は柔らかいんだ」

「あい〜」

燕燕は帰る前に令宣に向かってニッコリと微笑んだ。


令宣は怪訝な顔で照影を振り返った。

「あの女性に見覚えがないんだが…何処かで会ったか?」

照影はすっとぼける事にした。

「さあ…僕にも覚えがありません」


令宣が翡翠の耳飾りを作ってほしいと依頼すると

老職人は黙って姿を消したかと思うと暫くして現れ、掌に割符ほどの翠色の原石を出してみせた。

「儂が昨年漳州に行った際に南掌から来た果敢族の商人から直に仕入れた石だ。あの半島ではこういう質の良い石が採れるようでな…」

令宣は宝石の知識はないが漳州という海外貿易に開かれた港へ運ばれて来た石だと思うと海禁解除に手を尽くした者としてひとしおの感慨を持った。

老職人は老職人で令宣の風采を見て非常に高価なこの石に相応の銀子を出せる人物だと判断したらしかった。

「それで作って貰おう。前金は置いてゆく」

「承知しました」


二十日ほど経ち令宣はその耳飾りを手に入れた。

まるで翠が濃い雫となって滴るような耳飾りを手にして十一娘は喜びを露わにすると令宣の胸に縋り付いた。

「旦那様、こんなに美しい耳飾りは生まれて初めて見ました」

妻を喜ばせるという目的が叶った令宣は大いに満足だった。

「失わないよう大切にしますね」

「いいんだ。物はいつか消えて無くなる。これはお前を喜ばせたかっただけだ」

十一娘は彼の胸で更に甘えた。

「旦那様、つけて下さい」

令宣は十一娘の肩を抱いて寝台に座らせた。

令宣は隣に座ると真剣な表情で着け始めた。

「んふふ…くすぐったいです」 

「さあ…着けたぞ。どうだ、要領が良いだろ。もう不器用などと言わせんぞ」

「似合いますか?」

令宣は身体を離すと妻の姿に見惚れた。

「十一娘…とても綺麗だ」

令宣の目が悪戯っぽく光った。

「綺麗だからまじないをしてやろう」

十一娘は驚いた。

「え?まじないですか?…あ…」

令宣は十一娘をそっと寝かせるとその桃色の耳朶にゆっくりと口づけをした。