十一娘は職長の朱と共に徐家の馬車で仙綾閣を出発した。

萬大顕が馬車の傍らを警護しながら歩く。

馬車の背後を楊謙の馬が付いてゆく格好になった。


楊謙は馬上で揺られながら小さい溜息をついていた。

あの徐羅氏には私はさぞかし頭の固い厭な役人だと映っているだろうな。

それもそうだ。

私は彼女に強い言葉を遣い、朴念仁を装っている。


私は泣いたり喚いたりする若い女子が一番苦手だ。

あの徐羅氏にはそういうところがない。

頭の回転が早く常に平常心を保っている。

気配りが一流で他人を見下さず温厚だ。

接していて心地良さを感じずには居られない。

彼女には会う者を惹き込む魅力がある。

ひとつ…残念な事に相手は既婚者だ…。

近づいては危険だ。

気取られないよう敢て紋切り型の厭な役人を演じてみせた。

それでも

ふと気付くと彼女を見ている自分がいる。


職務の最中に女子に気を取られてどうする。

楊謙は自分を叱咤して目の前の馬車から目を逸らした。


一行は繁華な場所にある繍房一翠園に到着した。

一翠園は仙綾閣の次に評判の繍房で、女将の庭翠は簡師匠を姉姉と呼んで慕っている。

「徐羅先生、ようこそお越し下さいました。さ、皆様もこちらへどうぞ」

十一娘、朱、楊謙の三人は奥へと通された。

要件を一通り聞き終えると

庭翠はほんの少し視線を彷徨わせていたが落ち着いた態度で答えてくれた。

「例の三人が来た時の事はよおく覚えておりますとも。仙綾閣を辞めてきたと聞いて驚きました。姉姉、、簡師匠ほど弟子思いの人は居ませんからね」

十一娘は深く頷いた。

「ですが私共もこれ以上雇うつもりはありませんでしたのでその場で断りました」

楊謙はさらにその先を尋ねた。

「それでその三名の行方を知りたいのだが、心当たりはないか?」

庭翠の答えは更に明快だった。

「あの人達を雇う繍房はこの都にはありませんよ。簡師匠のお人柄を皆知っていますから…。それでもあの人達が露頭に迷うのを見て見ぬふりも出来ません…」

楊謙は突っ込んだ。

「それで何処かを紹介したとか?」

「紹介ではないんですよ。…この先を行ったところに波斯国の絨毯を商いするお店がありましてね。異国人がやっていますもので言葉があまり通じないのか店員がすぐに辞めて行くそうなんです。いつも人を募集してますよ。そう話してやりました」

十一娘が楊謙の方を伺うと彼の目はキラリと輝いていた。

成り行きからして彼女らがその絨毯屋に行ったと見るのが自然だろう。

三人は礼を言うと一翠園を辞して表通りに出た。

楊謙はここからは一人で行くと言ったが十一娘は承知しなかった。

三名の消息を知りたいのは十一娘達も同じだ。

帰って簡師匠にも報告したいのだと願ったので楊謙は折れるしかなかった。


馬車はそのままに萬大顕と共に件の絨毯屋を探すことにした。

女将の言った通り暫く往くと異国情緒溢れる店構えが見えて来た。

店頭には埃臭い絨毯が並べられ細長い店の奥へと続いている。

波斯国の絨毯がうず高く積まれたその奥は薄暗く見通せない。珍しい玻璃のランプが其の辺を妖しく照らしているが商人の姿は何処にも見えない。

「ここの主は何処か?」

楊謙が奥へ向かって呼ばわると図体の大きい波斯人と思われる異国人が帳の間からぬっと出て来た。

楊謙の役人の身形を見て一緒たじろいだのが分かった。

「戸部から参った。店主に尋ねたい事がある…」

そう声を掛けるとその男は警戒心を露わにした。

「なんだ…?」

「戸部が戸籍改めをしている。二年程前に此処へ女三名が訪ねてきたであろう。それについて尋ねたい」

「戸籍改め」の言葉に男はびくっと反応したように見えた。

必要以上に荒っぽい態度で男は答えた。

「知らん…俺は…ここに居なかった」

再び奥へと消えようとする。

「待て!」

呼び止めたが男の姿は消えた。

萬大顕が身構えた。

「奥様、あの男はどうも怪しいですね」

朱職長も怖がって十一娘の手を握った。

「どうも様子がおかしい…皆さんは帰って下さい」

楊謙はそう言い置くと男を追って垂れ幕の向こうへ消えた。


帰れと言われてもおいそれとは帰れない。

しかし待てど楊謙が戻って来ない。

時間が経つにつれて三人は焦ってきた。

萬大顕が二人に言い含めた。

「奥様と朱さんは馬車へ戻って下さい。楊謙をこのままにしておけません。俺は楊謙を連れ戻して来ます」

「分かったわ…」

そう言ったものの十一娘達も心配で自分達だけが戻るのを躊躇っていた。

十一娘は朱職長に頼んだ。

「朱さん、万一の為に巡視の兵を探して来て!」

「はい!行ってきます!徐羅先生もお気を付けて!」

「分かったわ!」

朱職長は走って行った。