令宣の訴えは朝堂に響いた。

「・・・公平な交易を維持し商人達には規則を守らせるのです。百万の大軍より交易の拡充です。これにより民心を長城と為し国を護るのです」

・・・

「今日の永平候の言葉に陛下は心を動かされた事でしょうな」

「確かに。戦費が膨らみ国庫を圧迫している今こそこれに勝る提言はないでしょう」


朝廷は前帝に仕えた老練の守旧派と令宣達の率いる改革派が凌ぎを削っていた。

守旧派の姚凱は近頃の陛下の改革派への傾倒を憤懣やる方ない思いで聞いていた。

屋敷に帰るや酒を煽り不満をぶちまけていた。

 「朝廷が海禁を維持していたからこそ国庫が潤って国境の防衛に力を注げたのだ。それを放置すれば忽ちオイラトやタタールのハーンが野心を抱く。それを何も分からぬ徐令宣の若造が陛下を煽りおって海禁の解除などと戯言を…」

ブツブツと繰り言を重ねる姚凱の元に六女の鶯鶯が淑やかな手つきで酒肴を運んできた。

「鶯鶯か…」

「はい、お父様。あまり飲み過ぎないで下さいませ」

そのぷっくりした優しげな白い手が酒を注ぐ。

姚凱には息子が居ない。

正妻と妾五人との間に生まれたのはすべて娘だった。

娘達は殆ど嫁に出し、残ったのはこの鶯鶯だけだ。

教養は何処に出しても恥ずかしくない。

気遣いが細やかで情が篤い。

使用人達にも優しく接しすこぶる受けが良い。

残った娘だけに何とか有能な婿をとりたいと予てから願ってあちこちに打診しているが、婿となるとそうなり手はいない。

幾度か見合いさせたもののなんのかのと色良い返事が得られなかった。

何故なのか…。

姚凱にとっては可愛い娘だが、如何せん誰に似たのか鶯鶯は容貌の点で他の娘より劣るのだ。

色白なのは良いとして目が糸を引いた如く細く、鼻はぺちゃっと横に低く、小さい口元は愛嬌があるのに喋ると前歯が目立ち過ぎる。

「徐令宣の奴め…」

「お父様、永平候爵様の事ですか…」

「そうだ、お前知っているのか?」

「はい、先日徐府で春日宴がありまして私もお誘いを受けましたので行って参りました」

「どう思った…?」

「広いお屋敷ですね。驚きました…」

「屋敷の広さじゃない、徐令宣の事だ」

鶯鶯は珍しく頬を赤らめて俯いた。

色白なので赤くなったのは隠せない。

「・・立派な方だと思いました」

ぬぬ…徐令宣の奴、女たらしめ…。

姚凱の妻は徐家の大夫人と懇意にしている。

恐らく六女の実母である妾が妻に頼み込んで入れて貰ったのだろう。

少しでも出会いの場に娘を送り出したい気持ちは分かるが…。

その時ふと姚凱の頭にピンと閃くものがあった。

日頃忌々しく思っている徐令宣に一泡吹かせてやれるかも知れない。


翌日の朝堂で珍しく令宣は姚凱から声を掛けられた。

日頃つんけんしている姚凱からこの後一杯どうだと誘われて令宣は訝しく思ったが戸部の要職に就いている先輩の誘いは断われなかった。

朝服のまま料亭の見晴らしの良い二階へと案内され一献傾けた後で姚凱は徐ろに本題に入った。

「徐殿を見込んでひとつ頼まれて貰いたい…実は私には一人売れ残った娘が居る。親の口から言うのも気が引けるが、これがまた実に良い親孝行な娘での。教養は人一倍あるがそれを決してひけらかさず謙虚だ。人柄も優しく大勢の使用人に慕われる徳がある。だがな、ひとつ欠点がある」

「・・・」

「聞かないのか?」

「話の要点をお願いします」

姚凱はゴホンとひとつ咳払いをした。

「欠点、と言うのはな…容貌がいまひとつなのだ…」

そう言って姚凱は目から涙を拭う真似をしてみせた。

ここまで来ると令宣にも話の流れが少し見えて来たが無表情にしらばくれて見せた。

「で…私にお話とは…」

「徐殿を見込んでな…暫く娘の面倒を見てやってはくれまいか。一切表に出た事のない深窓のおなごでな…出来れば世の中というものを見せてやりたい。かと言って迂闊な者に預けては娘の貞潔が損なわれる…是非ここは徐殿を男として見込んで頼むのだ」

「いや、それは困ります。私に任されても…それではご令嬢の名節に関わります」

姚凱は急にむっとした顔になった。

「ここまで言って分かりませんか?つまり私は娘を君に差し出すと言っておるのですぞ」

「いや、なりません」

「そうか、君は私の娘が醜女だと断る訳だな?」

「そんな無体な!そんな屁理屈は通りません」

「君は奥方の他に妾を置いていないと聞く。ならば娘を奥方の話し相手にでもしてくれたらいいじゃないか。そのうち君と気心が合うようになれば娶ってくれればいい」

「馬鹿な!…あり得ません」

「儂は娘の先行きが心配でたまらん。夜も眠れん。徐家の片隅にでも置いてやってくれれば儂はいつ死んでも本望なのだ。明日にでも娘を連れて行こう。奥方に会わせてやってくれ」

「断じて!お断りします」

「いや、助かった…君になら相談のしがいがあると見込んだ通りだ」

「お待ち下さい!姚凱殿!」

一方的に話を打ち切られ令宣は呆然としていた。


令宣は急いで帰宅した。

十一娘は青い顔で戻った令宣に何か重大な事が起きたものと察した。

「大変な事になった」

「どうなさったのですか?」

「戸部尚書の姚凱が私に娘を押し付けて来た」

「どういう事ですか」

「私に娘を強引に娶らせようと画策しているのだ。無論断ったが明日勝手に連れてくると言うんだ。一旦屋敷に入れたら最後、徐令宣が娘を娶っただの汚しただのあらぬ噂を流すつもりだ。そうなれば無理に追い出す事もできなくなる…上奏されれば追求されて陛下の手前重大な罪を犯した事になる」

十一娘はじっと考えていた。

「旦那様、分かりました。ご心配なさらずに。そこは私にお任せ下さい」

「何か案があるのか?」

「はい、今から羅家の兄のところに行ってきます」


翌日、姚家の馬車が徐府の前に停車した。

中から姚凱が娘の手を引いて降りてきた。

正門に上がり訪うと中から徐府の召使い頭が出て来て鶯鶯は愛想良く庭園へと案内された。

庭園に設えられた円卓には美しい花々の鉢が飾られ、食べ切れないほどの点心や果物が茶と共に供されていた。

周りには若いのから歳を喰った者まで大勢の書生達がたむろして賑やかに論議を交わしていた。

花園は花鉢によって二つに区切られ、垣根の向こうには扇で半分顔を隠した女性達が飲み物を手にやはりかしましく話に花を咲かせていた。

無論鶯鶯は女性達の輪に通された。

やがて女性達と書生の垣根は崩れ始め、あちこち青空の元でお互いを交えて話し込む者も出始めた。

書生といっても羅家の兄が招集した翰林院の研究生達で将来の国を背負って立つ人材だ。

やがて、鶯鶯は一人の大学院生と意気投合し唐宋時代の史記について語り合った。

一刻ほど経ったときそこへ徐府の女主人として十一娘が現れお開きを宣言した。

帰りには皆土産まで持たされ、有意義な時間を過ごせたと口々に喜びながら家路についた。


この語らいの会で縁を結んだ書生と令嬢は一組だけではなかったが、特に鶯鶯はその後出会った青年と堅い約束を交わすまでになった。


「今日はお前のお陰で助かった」

「それほどでもありません。単にお話の場を提供しただけです。兄が友人を招待して協力してくれたので助かりました」

「振興には明日にでも礼を言いに行く」

令宣はほっとして暖閣に寛ぐと十一娘の手を引いて自分の膝の上に座らせた。

「旦那様」

「うん?」

「あの女性には見覚えがあります」

「姚凱の娘の事か?」

「ええ、春日宴に来て柱の影から旦那様を憧れの目で見てましたよ」

「はっはっは…」

令宣が笑ったので膝の上の十一娘も揺れた。

十一娘は令宣の首筋に頬を押し付けて囁いた。

「旦那様…今日のご褒美にひとつ我儘を聞いて下さい」

令宣は可愛い妻の額に口づけした。

「よし、なんでも望みのものを言いなさい」

十一娘は俯くと頬を朱く染めながら願い事を言った。

「旦那様…そろそろ…暖暖に妹か弟を与えてあげたいんです…」

令宣は妻をひたと見つめた後、これ以上ない愉快な顔で応えた。

「良かろう。お前の望みどおりに…」