團尹清は懐かしい都の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

彼女は旅の疲れも見せず白衣の裾を鮮やかにさばきながら令宣のいるであろう巡防衛軍営の門を潜った。

男子だけが訓練する練兵場に女性が堂々と闊歩する姿は目を惹いた。

訓練兵に執務室の場所を尋ねた尹清は礼を言って歩き出した。

執務室の入り口に立つと奥に向かって呼び掛けた。

「徐将軍!」

「・・・團殿か!」

「お懐かしい!将軍お元気でしたか?」

「君も、、、驚いたな!お父上も戻られたのか?」

「はい、魏将軍のご配慮で辺境から只今戻りました。父も老いました。そろそろ若い医師と交代すべき時です」

團威はオイラトとの国境に進駐している軍隊に長年従軍している軍医であった。

娘である團尹清も医女として父を支えながら厳しい地で任務に当たっていた。

「そうか…やっと君も肩の荷を降ろせるな」

「ええ…父にはやっと楽をさせてあげられます。でも本人は都の開業医にでもなるつもりでおりますが…」

「ははは、先生の腕と気性だ。引退するのは勿体無い」

令宣は尹清に椅子を勧めると部下に茶を出すよう命じた。

相対して座ると、令宣と尹清は互いの顔をしみじみと見つめ合った。

尹清は令宣とほぼ同い年であるが厳しい土地で鍛えた身体は雌豹のようで日に灼けた精悍な顔立ちをしていた。

元々美しかったが更に野性味が加わったように瞳が生き生きと輝いていた。


尹清は目の前の令宣にかっての危険を顧みない若い武将の面影を探していた。

今彼は輝かしい軍功を誇る名将となって不動の地位を築き、頼もしい落ち着いた大人の男として目の前に居る。


出会いは令宣が遼東で戦って負傷した時に遡る。

令宣の傷は深かった。致命傷とも言えた。

野戦での治療には限界があった。

死をも覚悟しながら令宣は都へと戻される事になった。

その時都まで付き添っていたのが軍医の娘・尹清だった。

屋敷に戻した令宣を都の医師に引き継いだが尹清は後ろ髪を引かれる思いだった。

本復には程遠い状態で心配で堪らなかったが、尹清の役目はそこで終わりなのだった。

まだ意識の薄い彼の横たわる寝台に向かって別れ際「回復を祈ります」と呟く事だけしか出来なかった。

父のいる軍へと戻る旅を続けながら思いが募るのはいつしか令宣のことだった。

その後、回復した令宣が戦場に復帰したと聞いたが、その頃には尹清達も別の部隊に派遣されすれ違うばかりで再会は叶わなかった。

「君とお父上が居なければ今の私はない。お父上が落ち着かれたら是非お礼に伺いたい」

「ええ是非とも!父もきっと喜びます」


……あの時、令宣殿の屋敷には物静かで淑やかな侍女が一人居て、彼の母は令宣殿の看護に当たらせた。

時折熱に浮かされ汗をかく彼の身体を清めるやり方、傷口を消毒し包帯を替える方法や炎症に効く薬の煎じ方を彼女に教えた。


尹清は彼女に素直に従い、かいがいしく彼の世話をするその侍女にチリチリとした嫉妬心を覚えた事をはっきりと覚えている。

それは昨日まで尹清の役目だった。

あの侍女はどうなったのだろう。


令宣がふと気づいて尋ねた。

「都に戻ったばかりなら住まいはどうしている?宿に居るのか?」

「ええ、仮住まいとして驛站に住まわせて貰ってます」

「良ければお二人で屋敷へ来ないか?お父上が居を構えるまでいくらでも逗留して貰って構わない」

「本当ですか!それは助かります。驛站はお世辞にも居心地が良いとは言えなくて」

尹清は驛站の隙間風の入る暗い部屋を思い浮かべた。

「はは、、それでは決まりだな。いつでも構わない。屋敷に訪ねて来てくれ」

「嬉しいわ!ありがとうございます!近日中に荷物を纏めて伺います。」


尹清は早速粗末な驛站に戻ると父・威に経緯を話した。

威は呆れていた。

「お前、何十年も前の縁を持ち出して厚かましいぞ」

「やぁね〜何十年って。たかだか十数年よ」

「だが、わしとて徐令宣に会いたい気持ちはある。あのような誠実で真面目な男がお前の婿だったらと願った事もある…もう無理だがの…ほっほっほ…」

「ふん、なによ…今更。遅いっての!」

尹清はぷいと後ろを向いた。

自分の顔が赤らんでいるのを見られたくなかったからである。