靖遠侯爵家から多くの逮捕者が出たことでその後大きな展開があった。

靖遠侯と結託していた海賊の自白により、政敵であった故胡進侯爵の再審が決まり審議を経て胡家の名誉回復が計られたのである。

首を取られて亡くなった当主の無念は永遠に消えないが散り散りになった一族の屋敷や財産は遺族へと引き継がれる事となった。

一人娘・蓮頌は奴婢に身分を落とされ天香楼に芸妓として売られていた。

胡進の親友衛国公らが手を回すことで辛うじて身を売る事なく芸を披露する舞姫として籍を置いていた。

当時は蓮頌は犯罪人と連座であり、堂々と引き取る事も叶わず陰から援助するより他方法がなかった。

蓮頌は傾国の美女として名高い。

薄幸な身の上も手伝い天下にはどれ程の対価を支払っても彼女を拝みたいと欲する者はひきも切らなかったが客席には上客のみが通された。

今回胡公の名誉回復が計られて蓮頌も公女としての身分を取り戻した。

胡進公の亡き奥方は西域の血を引いていると噂があった。

その娘である蓮頌は細腰に豊満な胸、愁いのある漆黒の大きな瞳と高い鼻梁、肌は凝脂の如く白く滑らかで、ふっくらとした薔薇色の唇に吸い寄せられない男はこの世に居まい。

舞姫の薄絹を脱ぎ去り濃い化粧を落とした蓮頌の素顔は天が与えた艶やかさに可愛らしさが絶妙に秘められて会う者を瞬く間に魅了した。

王煌が彼女を誘拐しようとまで思い詰めたのには相応の理由があったのだ。


「胡蓮頌?」

冬青が今しがた表で聞いてきたらしい。

「はい、衛国公がご一緒です。今旦那様を尋ねて半月畔にいらっしゃるそうです」

「聞いた事があるわ。胡進公といえば区家に陥れられて断絶していたのよ。再審されてもう名誉回復したとか」

「では、旦那様に恩を感じてお礼に見えたのでしょうか?」

「きっとそうよ…」

蓮頌の名前も旦那様から聞いた。

王煌が彼女を自分のものにしようと狼藉を働いたせいで激怒した衛国公に始末されそうになり旦那様が助けに走った顛末から彼女の存在を知った。

五弟令寛の情報に端を発し旦那様が気付いて跡を追わなければ王煌は衛国公の手であの世に送られ、衛国公との信頼関係にもヒビが入って禍根を残していた可能性は否めない。

危ないところだったと言えよう。


その時西跨院に丹陽県主がせかせかとやって来るのが見えた。

眉間に縦皺が寄っている。

何があったのかと思っていると県主は入るなり悔しそうにぶちまけた。

「四義姉上!男ってどうしようもありませんね!」

「どうしたの?丹陽…」

「どうもこうもありませんよ!半月畔に蓮頌が来たと言って五旦那様が自分は関係ないのに見にいったんです!」

「そうなの?」

「ええ!あの人って普段どんな女性にも関心の無いふりをしているくせに…今日は止める間もなくあっと言う間に走って出ていったんです…もう悔しくって」

いらただしく手巾を揉みしだきながら十一娘に訴えるのだった。

確かに令寛殿は芝居にこそのめりこむ体質だが女子には淡白な性質だと思っていた。

走って、、は丹陽の大袈裟な表現かも知れないが見たい気持ちがそわそわと行動に現れていたのに違いない。

「まあ…令寛殿が…」

「四義姉上!姉上も他人事じゃありませんよ!四義兄上だって男です。男はみんな同じに決まってます!」

「ええっ…」

「今頃二人共どんなに鼻の下を伸ばして蓮頌を見ている事やら…あれから随分時間が経ってます。蓮頌とやらも長居して何を話しているのかしら」


ぷりぷりした県主をなんとか宥めて帰したが、そのように男を魅了する蓮頌という女性はかように美しいのか、そうなのか男は皆一緒なのか。

「男は美女と見れば下心を抱くものなんです!」

丹陽が怒りに任せて発した言葉が突き刺さる。

そう考え始めると十一娘の心にも静かに灰色の陰が舞い降りてきた。

後で照影にきいてみようか。

旦那様は堅物だけれど丹陽の言う通りやはり男に変わりはない。

過去に妾が何人いても妓楼に居た舞姫とは比べものにならない。

彼女達は職業として男を誘惑する手練手管を身に付けている。

蓮頌のその肢体から放つ媚態を前にして旦那様は男として何を思うだろう。

さっきは丹陽を慰めたけれどふと我に帰ると彼女と同じような事を考えている自分に気付いた。


庭や回廊に使用人達が火を灯して回っている。

帳の落ち始めた外の様子に十一娘も鬱々とした気分となって来た。

そのうち厨房から夕食が届けられてくる時刻になったが旦那様は帰って来ない。

次第に良くない方向に気持ちが支配されそうになる。

冬青が奥様の気持ちを引き立てようと殊更に明るく振舞った。

「奥様!大丈夫ですって!旦那様に限って他の女子に目移りする訳がないじゃありませんか!」

十一娘の肩をぐいぐいと揉みながら笑顔で励ますのだった。

「冬青、痛い痛い!強く揉み過ぎよ…」

「え?あら、すみませ〜ん」

その時やおら令宣が現れた。

「旦那様、お帰りなさい」

「遅くなったな、つい時間を忘れて衛国公と話し込んでしまった」

「こんな時間までいらしたのですか?」

「そうだ、今朝議では海禁解除の議論が沸騰しているからな…この機を逃さない為には我らの協働戦線を強化しておかねばならんのだ」

「・・・」

「どうした?何を考えてる?」

「衛国公は蓮頌をお連れになったんですよね?」

「え?ああ…家門再興の件で礼を言いに来たな。それだけですぐに屋敷へ戻って行った。縁談も決まり忙しいのだろう…臨波に屋敷まで送らせた」

「そうなんですか…」

隣で聞いていた冬青の表情が引き攣った。

『なんですって?』

突然冬青が飛び出して行ったので令宣が何かあったのか?と十一娘に目で尋ねた。

「蓮頌です…国色天香の蓮頌ですよ。傅殿が送って行ったので心配になって様子を見に行ったんです」

令宣がじっと十一娘を見つめた。

口元にニヤリとした笑みが浮かんでいる。

「十一娘、お前、焼き餅を焼いていたのだな?」

「焼いてません」

「むきになる所が怪しいな」

「むきになんかなってません」

「いや、さっき帰って来た時お前の顔が強張っていた。さては焼いていたんだな?」

十一娘は朱くなった。

「もう!旦那様はしつこいです。焼いてませんって!」

令宣はじわじわと十一娘との距離を詰めてくる。

「正直に言え」

ついに令宣は十一娘にぴったりと身を寄せると彼女の顎を右手で摘んだ。

口づけされそうな気配に十一娘は焦った。

「旦那様…冬青が帰って来ます」

「十一娘…私は嬉しいんだ。お前が嫉妬してくれて」

「まだ仰っしゃいますか…」

「心配するな…私の心は狭い。お前一人の事で手いっぱいだからな」

「あ…あ」

令宣はぐいと妻の腰を引き寄せるといきなり深い口づけをした。


またもや旦那様に翻弄されてしまう結果になってしまった西跨院の夜だった。