怡真と簡先生、そして十一娘が仙綾閣の客間に揃っていた。
簡先生は十一娘と共に濡れ衣を着せられ牢獄で苦労し一人で罪を被ろうとした。
徐家はその恩を忘れなかった。
簡先生は徐家の大切な恩人である。
一時、怡真は仙綾閣と区家の関わりを恐れて十一娘の仙綾閣通いを止めようとした事もあった。
それが今では簡先生と気脈の通じた友人となって度々訪れていた。
怡真が湯呑みを玩びながら気になっていた事を尋ねた。
「簡先生、仙綾閣の前に物売りの出店がありますね。品物が売れているところを見たことがないの。殆ど客も寄り付かずあれで商売が成り立つのかしら?」
簡先生は笑った。
「あれは永平侯爵が部下に命じて出店しているんです」
意外な返答だった。
「それはまた一体何故?」
簡先生は話してよいものか十一娘に目で尋ねてきた。
十一娘が頷くと簡先生が話しだした。
「実は以前十一娘が仙綾閣を出たところで危険な目に合いまして…それで侯爵がこの前を見張らせているんです」
初耳だわ!
怡真は十一娘を心配そうに見た。
十一娘は義姉を安心させるように笑った。
「義姉上にまで隠すつもりはなかったんです。ただ話す機会がなかっただけなんですが…」
そして、喬蓮房の悪巧みによって冬青と拉致された事やその後の救出劇の一連について話した。
怡真は驚きで目を丸くして聞いていたが聞き終わると大きな溜息をひとつ漏らした。
喬蓮房の悪事は義母を通して聞いていたものの十一娘が嫁いで来て間もなくそんな卑劣な罠を仕掛けるとは…。
怡真は戦慄し言葉がなかった。
「義姉上は私が潔白だと信じて下さいますか?」
「勿論よ、これは貴女の名誉に関わる一大事よ。誤解を生まないよう今聞いた事は封印しておくわ」
「ありがとうございます…私が何事もなく無事に帰れたのは簡先生のお蔭なんです」
「十一娘大袈裟ね」
「本当です。簡先生が犬を使って探して下さらなかったらもっと見つかるのが遅かったかもしれません」
「そうなのね。簡先生には感謝しても仕切れないわね」
簡先生は謙遜した。
「いいえ、私などより羅家のお兄様が骨を折ってらしたわ」
確かに振興兄にも感謝仕切れない。
簡先生は一晩中羅家に詰めて対策を練っていた事を話した。
「羅家のお兄様は十一娘の身の安全を一番に考えておられました。最終的に十一娘が誤解を受けた場合、自分が一生十一娘の面倒を見るとまで仰いました」
まあ、振興兄が…?
十一娘もその話は初めて聞いた。
あの頃は立て続けに仕掛けられ事件に追われていたので簡先生も話しそびれたのだろう。
今になって兄の深い思いやりが伝わってきて十一娘は目頭が熱くなった。
祖父上が亡くなり父上が失職してからというもの羅家も内情は火の車だっただろう。
その中で出戻りの妹のことまで背負い込むとなれば兄上には大変な思いをさせてしまったものだ。
十一娘のその様子を伺っていた怡真が微笑んで忠告した。
「なんて情愛の深いお兄上様でしょう。私もぐっと胸に来ました……でもね十一娘、その話は四旦那様にはしないほうがいいわ」
十一娘はハッとした。
簡先生も同意した。
「そうよ十一娘、貴方は賢いから話さないと思うわ。でも口を滑らさないようにね」
十一娘は頷いた。
あの独占欲の強い旦那様だ。
兄が私を引き取るなどいくら仮の話だとしても許すはずがない。
「はい、仰せの通りに」
3人の部屋は笑いに満ち溢れた。
「十一娘」
怡真がふいに語りかけた。
「お兄様の話を伺ってよく分かったわ…貴女がこんなに真っ直ぐに育った訳が…」
「もう二義姉上、買い被りです」
その振興兄も実力が認められ今は遠き漳州府の市舶司に就任して都を離れている。
父上も再び陛下の信任を得て吏部での重職に引き立てられ出仕している。
兄上が出発する前夜、羅家で開かれた夕食会では義息子・令宣をはじめ家族一同を前にして父上が話した。
「振興も朝廷での責任ある立場に就いた。だが振興、人は高みに昇れば昇るほど堕ちれば痛打する。気を引き締めて職務に当たるのだぞ」
「肝に銘じます、父上」
そこで乾杯となったのだ。
羅家にも家族の修羅場が常にあった。
反面、羅家の良いところ質実な気風が感じられた夕べだった。
その夜寝室で十一娘は仙綾閣で出た話題を令宣に聞かせていた。
令宣は寛いだ姿勢で妻の話に耳を傾けている。
髪を梳りながら話していた十一娘の手がふと止まった。
振興兄の事は黙っておこう。
令宣は敏感だ。
「今何を話そうとしていたんだ?」
「え?あ、漳州府の振興兄が元気にやっているかと思いまして…」
夫の目は疑り深い。
「どうしてお前達の茶飲み話に振興が出てくるんだ…」
「出て来た訳ではなく、今ふとそう思っただけです」
「振興は漳州で元気にやっている。指揮司の臨波と緊密に情報共有して成果を上げているそうだ」
「そうなんですね、安心しました」
旦那様の話がそれから福建の政治的状況へと流れていったので十一娘はほっとした。
だがそれで令宣の追求の手が緩んだものと安心したのは拙速だった。
寝間に入った途端十一娘の頭を令宣がしっかりと抱えた。
「さあ、さっきの話をして貰おうか」
旦那様の顔が徐々に近づいて来る。
「だ、旦那様」
「私は隠し事は嫌いだと言っただろう…さあ」
「旦那様、その前に離して下さらないと」
じたばたしたが武人の令宣に抱え込まれた身体は梃子でも動かない。
何と言って胡麻化すか十一娘の頭は目まぐるしく働いた。
「旦那様〜・・・」
今夜も一波乱あった西跨院の寝室であった。