兄振興と共に馬車に乗り込んだ二娘は先程とは打って変わって静かな口調で話し出した。

「あの女は逃げ切るわ…でも今日の騒ぎと李殿からの口伝えであの女の悪事は世間の知るところとなる。多少は打撃になる筈よ…」

振興は負けず嫌いの二娘がやり過ぎる事を懸念していた。

「この件はこれで終わりにするんだ。もう忘れたほうがいい」

深追いをすれば敵側のどんな反発を招くか分からない。

「それより、王家の方はどうなんだ?酷い扱いをされてはいないか?」

振興は純粋に妹を心配していた。

子どもの居ない女が旧家で立場を失くして生きるのは辛いだろう。

今回妹の願いに応え一計を案じたのも彼女を少しでも楽にしてやりたかったからだ。

その兄の温かい言葉を二娘は素直に受け取れなかった。

「兄上、今日はありがとう…でも気遣うふりをしてくれなくてもいいのよ。」

「どういう意味だ?」

振興は眉を顰めた。

「私は地位もない一人ぼっちの寡婦よ…庇って貰う値打ちなんか無い。分かってるのよ。今日の件だって徐家への力添えよね?」

「二妹、、我々は実の家族なんだぞ!」

異母妹であろうが実の妹である事に変わりない。

妹達には公平に力になってやりたいと常々思っている。

十一妹も異母妹だがこの兄の言葉は素直に聞いてくれる。

振興は二娘の捻くれた物言いが信じ難かった。

「何故それが分からないんだ?」

馬車は無言のままの兄妹を乗せてガタガタと大通りを進んで行った。


翌日、徐家を訪れた振興は妹夫婦に事の顛末を話して聞かせた。

人の口に戸は建てられない。

都では瞬く間に王煌の死と区家と周家の関わりが広まり論議されていた。

十一娘は兄を讃えた。

「驚きました。兄上が二姉上の為に芝居を打つなんて」

振興は義憤に駆られた胸の内を明かした。

「区家は殺人まで犯して二妹を利用した。許されざる行いだ。羅家として黙ってはおられん…二妹から区若夫人を懲らしめたいと手紙を受け取ってこの策を思い付いた」

令宣は振興の話に聞き入った。

「区家の名声を傷付け、かつ二妹の鬱憤も晴らせる」

「だからご同僚を証人に?」

「そうなんだ。李殿は権力に阿らない正義漢だからな。彼の話は文官や知識人の間で広まる。世論と相まって都察院を動かせる筈だ」

その通りだと令宣は相槌を打った。

利害関係のない第三者である李殿が見聞きした事を伝えれば誰もが納得する。

「確かに見事な策だ!騒ぎだけでは区若夫人を断罪出来ぬが周顕との関係は言い逃れ出来ないからな。実は朝議で衛国公と姜家がこれを非難し周尚書は陛下に戒められたのだ」

早速朝廷に影響を及ぼしたと聞いて振興は笑顔になった。

「1年分の減俸に過ぎぬが区家の巻き添えになったのは確かだ。両家の関係は間違いなく悪化する」

周家が区家を見放せば今後礼部とも拗れる。区家の足元は盤石ではなくなった。


「兄上、二姉上の様子が心配です」

振興は別れ際に見せた二妹の頑なな姿が目に浮かんだ。

「十一妹、、二妹の事は暫く様子を見よう。あの気性だ。今訪ねればまた感情的になる。落ち着くまで待とう」

「では、義母上のお加減はいかがですか?」

振興は口籠った。

「まだ…よくならない。だが二妹の事が解決した今諄の婚約も元通りになった。母上も安心して病状が好転すればと思っている」

令宣は十一娘の横顔を痛ましく見ていた。

十一娘は二人を心配するが、翻って二人はどうだ。

二娘も義母上も十一娘よりも己の栄達しか考えていないではないか。

彼女との間に隔たりを感じている今、家族を案じる事を止めない彼女の為に何をしてやるべきか。

陰から十一娘を見守り、彼女の心の負担にならないよう手を貸してやるしか支える手立てがない。

今回は振興が積極的に表に出て助けてくれたのを感謝するばかりだ。


数日後、令宣は衛国公任坤に呼ばれた。

令宣は慎重に尋ねた。

「今後も海禁を指示するお積もりですか?」

「明国は栄え、国土は広く物資も豊かだ。海禁を解けば他国の野心を刺激する恐れがある。今まではそう考え中立を維持してきた。だが今では私も世相が掴めてきた。海禁を解くのは時の流れであり何より民心の赴くところだ。もう過去に縛られる積もりはない。区家が海禁を指示するのは私利に過ぎず私に加担する積もりは無い」

「流石は衛国公です。東南の沿海地帯は耕地が少ない。民の生活は漁業と交易が頼りなのに海禁のせいで闇取引や密輸に走る。海禁を解かねば民の暮らしは立ち行きません。当然海賊の犯罪も無くなりません」

「それはその通りだが海禁の是非は陛下のご意向にかかっている。我々のみが論争しても無駄だ。長年続く国庫の赤字が陛下の御心を動かし貿易拡大に活路を見出して頂かなければならん。…令宣、この件に注目して陛下へ進言してはどうだ?」

「分かりました。陛下のご賛同さえ頂ければ海禁派を説得出来ます。我々の悲願を達成する日も遠くありません」

衛国公は力強く頷くと、話題を変えた。

「ひとつ分からぬ事がある…令宣、何故私が王煌の事件と無関係だと分かった?誰もが私の関与を疑ったのに…蓮頌との一件を知る君が真っ先に疑いそうなものだが…?」

令宣は自信を持って応えた。

「私は衛国公が誰よりも公明正大な人物であることを知っております。もし王煌を罰するならあんな下策は使いません」

盟友胡進候爵を失い長らく孤独だった衛国公は令宣の明快な答えに爽快な心持ちになった。

「我を知る者は徐令宣なり…だ!」