屋敷から中庭に出ると妻と区彦行が向かい合っているのが見えた。

区彦行とは徐家荘園の騒ぎ以来だ。

何故区彦行が何の為に此処に居るのか。

一瞬頭に血が昇ったがここは葬儀の場だ。

彦行が区家を代表して弔問に来たのは明らかだ。


二人を目の当たりにすれば単なる偶然の出会いに過ぎないと分かっていても苛立ちは抑えられない。

十一娘の瞳があいつを映す事さえ本当は許せない。

令宣は憮然としたまま近付いて行った。

彦行が気付いて彼に向かって「徐候爵」と頭を下げた。

令宣は無表情に頷くと十一娘に手を差し伸べた。

「帰ろう」

令宣は妻の手を取ると自分にぴったりと引き寄せ、彦行に見せつけるかのように歩いた。

十一娘は握られた手の強さに令宣の気持ちを見たような気がして面映ゆかった。


彦行は暫く二人の後ろ姿を見送っていた。

安泰は背後からそんな若様を心配そうに見守っていた。


馬車に乗り込んだ後も令宣は物も言わず前方を見つめていた。

令宣の不機嫌さの原因は当然彦行だろう。

隣の夫の様子をチラチラと伺っていた十一娘は令宣を宥めた。

「旦那様、区公子とは偶然出会って立ち話をしていただけです」

令宣は聴こえないかのように目を閉じた。

十一娘は心の中で溜息をついた。

旦那様は区公子の事になると途端に機嫌が悪くなるわ…

これ以上声を掛けても言い訳がましく聞こえる。

帰るまで二人は無言だった。


その夜、半月畔で彼女が薬と包帯を変え終わって片付けていると頬に令宣の視線を感じた。

「二娘の要件は何だったんだ?」

「衛国公が王煌を殺させたと思っているようで、詳しい調査を朝廷に願い出て欲しいと…」

「どう答えた?」

「当然断りました。真相は不明ですし旦那様にはお考えがある筈です。私の事情でご迷惑は掛けられません」

令宣はいかにも十一娘らしい対応だと思った。

十一娘は板挟みになって辛かったろう。

「私が何とかする。安心しろと言ってやれ。お前の姉だ…見て見ぬふりは出来ん」

十一娘は嬉しかった。

これを聞いたら姉はどんなに喜ぶか。

真相究明が一番の供養になるのだから。

「ありがとうございます、旦那様」

すると、ふと気に掛かっていた事を思い出した。

さっきは夫の顔色を見て話せなかった事だ。

「そうだ。今日区公子が妙な事を言いました」

妻が区彦行の名を口にするのは不愉快だが妙な事とはなんだ?

「何と?」

「王煌の死は見た目より複雑だと。何か知っていそうな気がしました。区家で何かを聞いたなら王煌の死に区家が関係しているのではありませんか?」

令宣は立ち上がると十一娘を振り向いた。

「区彦行が茂国公府に現れたという事は区家の事情に関わり始めた証拠だ。あいつを信じるのか?」

旦那様は区公子を色眼鏡で見ている。

区家から受けた数々の仕打ちを考えれば無理もない。

だが敵の家族であっても全ての人が悪い人間ではないはず。

「旦那様…ご懸念は尤もですが、そんな悪人ではありません…それから、区家は徐家の仇ですから私的な交際はしません。公の場でも気を付けます」

十一娘は令宣の手を取った。

「旦那様、信じて頂けますか?」

そう言って令宣の顔を覗き込み微笑みかけた。

彼女の笑みに頑なだった令宣の頬は微かに緩んだ。

十一娘に宥められても頑固な心のしこりを一気に溶かす事は難しかった。

けれど、この微笑みが彼女の本心から湧き出たもので自分だけに向けられたものだと信じたい気持ちも片方ではある。

そういう曖昧な心が今の令宣を支配していた。


金蓮が二娘の前に麻の喪服を置いた。

明日、これを着て徐家に行く。

「若奥様、十一娘様は助けて下さいますでしょうか?」

金蓮も心から二娘の身の上を心配していた。

「大旦那様が養子をとって跡を継がせれば若奥様の立場がありません」

そうはさせない。

その為には何がなんでも十一妹に言う事を聞かせるのだ。

二娘の決心も堅かった。


翌日、徐家の庭園に面した阳台には次々と鉢植えが並べられ、円卓には果子や甜点心が華やかに用意された。

「綺麗に並べてね」「はい!」

使用人達がキビキビ動く。

大夫人の親しい友人を招いての花の宴だ。

朝から十一娘は心を砕いていた。

その出来映えに会心の笑みを浮かべていると仕上げに冬青が香炉を運んで来た。

十一娘が香炉から立ち昇る香気を手で扇いできいてみる。

「いい香り…皆様もきっとお気に召すわ」

今日は接待に徹して喜んで頂けるように専念しよう。


この時、徐府の正門前の路上に一人の女が喪服を着てひざまずいている事を十一娘はまだ知らなかった。